ピエリスの旋律
「んー、例えば。…これは知ってる?」
女性シンガーソングライターのデビュー曲で、私達の世代では恐らく知っているであろうという有名なワンフレーズを声に出した。
顔を見ながら、なんてとてもじゃないけど耐えられないので目をつぶった。
たったのワンフレーズ。
声の震えは、上手く隠せただろうか。
「、めっちゃ良い」
そんな声がして、そろりと目を開けると、両手で顔を覆って深く息を吐いている尾瀬くん。それから、息を飲むような綺麗な顔をこちらに向けた。
あの目だ。
初めて街で見た時の、あの妖艶な色っぽい目。
街の光を集めて輝いているその瞳に、思わず釘付けになる。
その瞬間は行き交う人々の笑い声や、車のエンジン音がどこかへ遠ざかっていって。
時が止まったような、妙な感覚を私にもたらした。
音のない夜の世界の中で、私は端正なその顔をじっと見つめていた。
やがてその薄い唇が、静かに開く。
「萩原さんはさ、歌手になるの?」
耳に届いた、低くもなく高くもない尾瀬くんの声。
それによって、遠ざかっていた世界が急速に私の元へと戻ってきた。
例えるならばガツンと鈍器で頭を殴られたような、大げさではなくそんな衝撃を受ける。
その、彼が紡いだ言葉に。
いつか聞かれるとは思って覚悟はしていた。
でも、出来れば聞かれたくはないと思っていた。
「…笑うでしょ?」
一気に気分が沈む自分自身に嘲笑が漏れる。
なんて情けないんだ。
「なんで?笑うとこ、どっかある?」
「現実見ろとか、叶うわけないとか勉強しろとか」
「あぁ、そんなこと。誰かにそう言われたの?」
思わず押し黙った私を見て、困ったように笑みを浮かべるその表情は、教室で見るいつもの尾瀬くんのものだった。
「泣かないで」って言われて、自分が泣きそうになってることに気が付いた。
だから、聞かれたくないんだ。
もう心は決まっているのに、こうして世間と自分とを比べて容易に揺らいでしまう。