桜の咲く頃

あれは一ヶ月前

体調が悪くなり始めて

最初に病院へ来た日のこと


この日が初めてあの子を見た日



中庭に置かれたベンチに座る一人の少女は

肌が白く、長い黒髪を耳にかけ

本を読んでいた


線が細く病弱そうな印象を受けた




その後入院することになり

三日後また少女を中庭で見かけた



私は思い切って話しかけてみることにした

緊張はしてなかったが

こんなおばあさんと話してくれるか不安だった



しかしその子は

嫌な顔一つせず

私との会話を楽しそうにしていた



なんだ、とても明るい子じゃないか



そう思った



話をするうちに

彼女が今年から高校生になると聞いた


こんな所にも新一年生がいた!

と少し嬉しくなり

家の桜をよく見に来る男の子の話をした



「その子、桜が好きなんですね」



そう言って微笑む彼女は

とても綺麗だと感じた



「私も桜好きです。土手の桜なんか本当に綺麗ですよね」


この子もまた桜が好きなんだ


嘘じゃない

だってあの男の子と同じ目をしてる




その後

名前を教えてもらった



「名前、教えてもらってもいいかしら?」


「ツボミって言います」


「じゃあ漢字は一文字で蕾かしら」


「はい…でも私、あんまり漢字好きじゃなくて」



そう言いながら笑う彼女は

少し暗く見えたような気がした



なぜなのか、聞いてもいいだろうか

そんなことを思っていると

彼女から話し出した



「つぼみって名前はとても可愛いと思います。でも漢字で書くとちょっと可愛さ減っちゃうじゃないですか」


さっきの暗い顔を

吹き飛ばすように笑って話した



「おばあさんの名前も聞いていいですか?」



躊躇いがちに彼女が聞いてきた



「私は、サチエ。幸せな枝と書いて幸枝よ」



そう言うと彼女は「綺麗な名前ですね」と

顔をキラキラさせて言った



「私の生まれた家にもね、桜の木があったのよ。私が初めて家に行った日、一本だけ枝が折れちゃってねぇ」



彼女の顔が暗くなるのが分かった



「可哀想…」



そう呟いた




それに対して私は笑ってしまった


桜の木に向かって可哀想だなんて

言う人を初めて見たものだから

なんだかおかしくて


でもそれだけこの子の心は

綺麗なのだと思った



「違うのよっ、続きがあるの」



私は悪戯っぽくそう言うと

彼女は不思議そうな顔をした


いや、私が笑ったから

そんな顔をしているのかもしれない



「その枝の桜だけピンクの蕾をつけていたらしいの。まだ他の蕾はまだまだ咲くには程遠くってねぇ」



そこで一呼吸置き

中庭から少し見える土手の桜を見た



「それで父がね、赤ちゃんが春を連れて来たって幸せを運んで来たって言って、幸枝になったって私は聞いてるわ」



さっきよりもキラキラを詰め込んだ顔で

彼女は私を見ていた



「素敵ですね…!なんだか羨ましいです」


「そうねぇ。あなたと会えたのも何かの縁かしらね、蕾ちゃん。蕾という字で無ければ縁だとは思わないわよ?」



彼女の目は潤んでいるようだった


桃色の蕾を付けて落ちた

名前の由来のあの桜と

あなたの名前が

何かの縁だと良いなと思った


自分の名前を

少しでも好きになって欲しかった




「そうだと…良いです」




嬉しそうに笑って彼女は答えた



彼女がどんな人生を歩んで来たのか


幸せだったのか

険しかったのか

つまらなかったのか


知りたくなった



別れ際にこんなことを言われた



「私、この時間はだいたいここにいます。また来てください」



直接言われた訳では無いけれど

私には、また話しをしたいと

誘われているように思えた



「えぇ、また明日も来るわね」



そこでその日は別れた




自分の病室に戻ってからも

あの子のいろんな表情が思い返される


大きな目を見開いて輝かせる顔


今にも涙が出そうな顔


悲しみを含んで微笑む顔



何かを悟っているかのような瞳を

私に向けた時


この子はもしかして…


そんな良くない予感がよぎった



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