恋は質量保存の法則
第十一話
中学卒業から十一年後、律佳は既定路線とされた高校から大学へと着実に進学し、現在社会人として問題なく生活している。合コン等のイベントを避けることで正晃との結婚も問題無く回避できた。今や正晃の容姿すら完全に思い出せないくらいの状況におり歴史の修正力が否定された瞬間でもあったが、だだ一つ過去の歴史を覆せなかった点もある。
それは親友でもあった那津との関係であり、今となってはこうなることが運命だったのだと理解せざるを得ない。冬馬との関係を勘違いされ中学卒業と同時に疎遠となってから一切会うこともなく、これは既定路線と言えた。逆に純平との関係は当時から順調に進展し、恋人という関係にまで至っている。
純平はその優秀な頭脳で現在では高級官僚となり、まだ若い身ながら国を動かすポストに就いており付き合う相手として最高と考える。
律佳の知る過去の歴史と違った歩みとなっていることに純平は多少危惧していたが、本人は望むべき未来を手に入れ日々幸福感に包まれていた。
一方、今日はとうとう運命の日であり否が応でも緊張する。新幹線に揺られながら高知へと向かうその隣には過去とは違い純平が座っており、経験してきた歴史とは異なる。そうは言っても過去、自身が死に直面した場所へと向かうことはリスクを高める行為とも取れ、二の足を踏む心理もあった。
それを超えて一歩前に踏み出す勇気をくれたのも隣の座る純平であり、転落という未来を回避したら結婚しようと告げられている。今感じている幸福感を永遠のものにできるとなると動機付けは半端なものではなく、律佳の足は故郷の高知へと向けさせたのだ――――
――過去の歴史とは全く違い、半ば満たされた想いで律佳は岬に立つ。ここに至るまで、純平から歴史の修正力を考慮するならば避けた方が良いという案と、歴史の修正力を逆手に取りこの時点で転落という事実をクリアしてしまうという案の二つを提示されていたが、結婚がかかっている以上後者の一択しかない。
那津との件を鑑みると修正力の可能性は考慮できるが、正晃との婚姻をパスできた点では排除できる。死に直面することもあり難しい選択とも言えたが、傍に純平がいるという現状も受けて転落と立ち向かうと決心ができた。
崖の先まで歩みを進め波風の強さを肌に感じると、当時の状況や心境が甦り心苦しくなる。隣に立つ純平の存在がなければ再びこの場所に来ることはなかっただろう。頼もしい横顔の純平をじっと見つめていると、視線に気がつき見つめ返してくる。
「もしかして不安になってる?」
「ええ、ちょっとね。でも純平さんがいるから大丈夫」
律佳の言葉に笑顔を見せ、純平は再び水平線の向こうを眺める。転落というトラブルをこれから具体的にどうクリアするのか、歴史の修正力は阻害要因とならないのか、様々な疑問点が脳裏を駆け巡っている最中、純平がおもむろに口を開く。
「律佳は僕が常々語っていた歴史の修正力という件を信じてる?」
「修正力? そうね、正直半々だと思ってる。藤崎さんとの結婚を回避できた点では修正力は起きなかったけど、進学や就職、なっちゃんとの件は変わらずだったし。純平さんが言ったように、単純に新しい歴史が構築されているんだろうなって思う。だけど、岬での転落は生死に関わることだし、修正力を考慮して確実に排除しておきたい事象だと思ってる」
「なるほど、現状を顧みるとそういう判断になるか……」
そう言って純平は腕組みをして考える素振りを見せる。そして、少しの沈黙を挟み意外な言葉を呟く。
「歴史の修正力なんて存在しないよ」
純平は無表情で歴史の修正力がないと漏らし、律佳はきょとんとした表情になる。
「歴史の修正力なんて僕の想像でしかない。神様が人間一人一人の行動を律儀に監視し、誤った歴史に進もうとしたら修正するなんてあり得ないよ。そんなことがあったら人間の存在自体が無意味となる。ちょっと考えれば分かることだ」
「なんで今更そんなこと言うの?」
嫌な予感を抱きながらも律佳は素直な問いを隠せない。
「この地点まで来たらもはや誰にも邪魔されないし、僕の目的も完全に達成されると確信してるからだよ」
「目的?」
「ああ、秘密にしていたことだけど律佳の持っていた未来の知識のお蔭で僕は巨万の富を得た。就活のときやニュースを見てるとき、新しく開発される技術に対して僕はさりげなく君に未来の情報を聞いてたのを覚えてるかい?」
問われて軽々しく答えていた情報が頭の中でフラッシュバックされるが、純平がどの点を差して言っているのかまでは理解できない。
「宝くじの番号とか言った覚えもないし、未来で誰がどうなるとかも言って覚えはないわ」
「そうだね。でも、どこで震災が起こるか、どこの政権で誰が総理になるか。どんな技術革新がなされるか。治る病気から開発される新薬まで推理ができる。それはつまり、これから躍進する企業や人物を知ることになり、そこへ投資したり着目した者は莫大な利益や権力を得ることになる。君が軽々しく言った言葉の端々から僕はそれを簡単に推理し、陰ながらずっと権力を増やしていったんだよ」
不敵な笑みを浮かべ 口角を上げつつ語る純平の顔に戦慄を覚え律佳は立ち尽くす。
「僕が何故歴史の修正力とういうどうでもいい嘘を吐いたのか分かるかい? そう言えば歴史の修正力を恐れ僕以外の人間に助けを求めないし、一人ならこの場所にも来てなかっただろ? 確実にここで君を転落させるためにも協力者をなるだけ排除したかった。ここに導くまで大変だったが苦労した甲斐はあったよ」
「貴方って人は……」
「君が知ってる未来はこの三月二十四日までだろ? これから起こる未来の知識のない君はもはや用済みだし、十分な権力や資産も得た。君にはここで転落死してもらうよ。僕の正体を知っている者はこの世に必要ないからね」
「同じタイムストリッパーだと思って信じてたのに、最低よ……」
「タイムストリッパー? まさかそれも信じてた?」
「えっ!?」
「僕はタイムストリッパーでもないし、坂本龍馬でもないよ。僕は生まれてこのかたずっと坂本純平だ」
「最初から全て嘘だったの!?」
「ああ、君が本物のタイムストリッパーって言うのには当初ビックリしたよ。でも、これを利用しない手は無いと思った。全ては金と権力のためのお芝居さ」
後ずさりながら非難してみるも、純平は目の前に迫っておりどこにも逃げ場がないことは明白だ。当の純平は無表情で律佳を見ており、中学時代から感じていた優しい面影はどこにもない。
(やばい、完全に絶体絶命だ。まさか、中学のとき冬馬君が言ってた坂本君に注意しろって言葉はこの未来を知ってのことだったの? もっと冬馬君の言葉に真剣に耳をかすべきだった……)
後悔をしてみても純平は目の前まで迫っており、身近に感じる死に対して足がガクガクして震えが止まらない。
「さよなら、律佳」