恋は質量保存の法則
第十二話

 冷酷な最後通告を受けると同時に胸の中心を力強く押され、過去に感じた宙に浮く感覚に再び包まれる。その瞬間、律佳の中での時間の流れは遅くなり、過去の転落時と同じように走馬灯が脳裏を過ぎる。
(一度目の人生を失敗と思って、やり直した二度目の人生の結末がこんなものになるなんて思いもしなかった。純平は歴史の修正力なんて無いって言ったけど、今の私には分かる。修正力は存在してて歴史を覆すことはできない。転落するという事実はきっとどう足掻いても変えられなかったんだ……)
 空中に浮きながら律佳は歴史の修正力を実感する。それと並行して修正力が存在するのなら何故、正晃との婚姻が実現しなかったのか疑問点も浮かぶ。
(振り返ると進学も就職も人間関係も、ほとんど一度目の人生と変わらなかった。純平との付き合いと正晃さんとの結婚。これだけが例外だった。理由は分らないけど、知ったところでもう手遅れだ……)
 目を閉じて転落死という未来を受け入れようとした刹那、右腕を力強く掴まれる感覚に襲われる。崖にぶら下がる形で捉えられた律佳は、驚きながらその人物を確認した。そこには息を切らせながら必死の形相をしている男性がおり、その懐かしい目元を見た瞬間律佳からは驚嘆の声が漏れる。
「も、もしかして冬馬君!? なんでここに?」
「なんでもなにも、これが史実通りの結果なんでね」
(史実通り? ってことは一度目の人生でも私は冬馬君に助けられる運命だったってこと?)
 見上げながら考えるが、その後ろにすぐに居るであろう純平の存在を思い出しハッとする。
「冬馬君気をつけて! 後ろに居る坂本君は危険な人よ!」
「知ってるよ。でもって、もう片付いてる。それよか直ぐ引き上げるから両手掴んで、腕の力がもう限界近い!」
「わ、分かった!」
 言われるがまま両手で冬馬の右腕を力いっぱい掴むと、一気に崖の上へと引き上げられた。ごつごつとした地面にしゃがみ込むと、目の前にはうつ伏せに倒れ込んでいる純平の姿が目に入る。
 出血しているようには見えず気絶しているだけのようだ。律佳を引き上げた冬馬も疲れているのか肩で息をしている。様々なことが一気に起こり混乱気味の律佳だが、現状聞ける相手は一人しかおらず話し掛ける。
「冬馬君、色々聞きたいことがあるんだけどどうしてここに?」
「さっきも言ったけど、これが史実通りの結末だからとしか言いようがない」
「冬馬君が私を助けるというのが既定路線だったって言うの? 一度目の人生で出会ったことのない貴方が?」
 問いに困ったような顔をしてから答える。
「一度目の人生、か。今の君がそう考えるのも無理はないか。でも、僕が言っていることが事実だし、それが証拠にこうやって君を助けることができてる」
「助けてくれたことには感謝してるわ。だけど、どうやってこの未来を知ったの? もしかして貴方もタイムストリッパー?」
「そのどちらの質問にも答えることができない。そういうルールなんでね」
「……どうやってあの一瞬のうちに純平を倒したの?」
「それも言えない。まあ、二、三日は目覚めないだろう」
「昔と同じで答えられないことばかりね。で、これから貴方はどうするの? 私に何か要求したりするの?」
「要求とはちょっと違うけど、伝えなければならないことはある」
「伝えなければならないこと?」
「君は歴史の修正力って言葉の意味を知ってるかな?」
「耳にタコが出来るくらい知ってるわ。でもそれってデマで存在しないんでしょ?」
「存在しないなんて誰が言った?」
 律佳は気絶している純平に視線を送り意思表示を済ます。
「なるほど、でも仮に歴史に修正力があったとして、君はそれを認識できると思う? 今のこの歴史は修正されたものだ! って」
「二度目の人生を歩んでみて振り返ってみても修正力はあるような気がするし、無いような気もする。正直言って混乱して分からなくなってる」
「無理もない。それが普通の感覚だし、何度人生をやり直そうと同じ人間である以上似たような結末を迎えるだろうからね」
「それ、気絶してる人も言ってたわ」
「うん、彼はとても聡明で時間の概念を良く理解してる人物だと思う。だからこそ、タイムストリッパーの君が利用され今回の事件に至ったと言える。彼の狡猾さと大胆さには少々驚かされたよ。それはともかく、彼がなんと言おうと歴史の修正力というものは存在する。正確に言うと修正する役割の者が存在する」
「修正する者、もしかして貴方がそれ?」
「そういうこと。今あるこの歴史は君がタイムスリップしてから微妙に史実から離れて行った。しかし、君が一人で行う程度の改変なら僕らが介入しなくても歴史に差は生まれなかっただろう。問題は坂本純平がそれに大きく介入した点で、彼はこれから先の日本の歴史を大きく変えるような行動をした」
「純平が権力やお金の話をしてたけど、ひょっとしてそのこと?」
「ご明察。詳細は避けとくけど歴史の改変に大きく関わり過ぎた。君の生死に関わることも含めてね」
「じゃあ、冬馬君はこの歴史を今から修正するの?」
「本来ならそうなる。だけど、この歴史は改変が進み過ぎて修正しきれないほど重症でね。もう一度ある地点からやり直すことが決まったんだ」
「それってもしかして、私のタイムスリップ前の歴史じゃない?」
「そう、君が言ってた一度目の人生の転落が起点だからね。転落からタイムスリップに至るまでにカットを入れて正規の史実に流れを戻す」
「今の私、一度目の人生と二度目の人生の記憶を持つ私はどうなるの?」
「二度目の人生の記憶が無くなる。正確に言うと今日の日付が変わると同時に君の記憶と、この歴史は消滅する。そして、一度目の人生の平成二十四年三月二十四日の朝に戻る。史実の通り君は再びこの足摺岬に来て転落しそうになり助かるだろう。それから先の未来は君が決めて歩んで行くことで僕にも分からない。僕自身、修正された歴史の中では修正前の記憶は無くなるからね」
「結局、またあの牢獄のような生活に戻るのね」
 神妙な顔つきの律佳に冬馬はため息をつく。
「最後に一つ、君にアドバイスをしよう。人生の選択が正しいか間違っているか、それは当然君が決めることだ。ただ、一部のシーンを切り取ってそこが人生の牢獄とか決めつけない方がいい。人生は長い。良くも悪くもたった一日で大きく状況や心境が変わることだってある。希望を持って、なんて気休めで陳腐なことは言いたくないが、本当に望む未来があるのなら諦めずそれに向けてもがいてみることだ。何もせず文句を言ってるだけなら確実に未来は変わらない」
「私の人生を知ったように言わないで!」
「そうだね。まあ老婆心ながらってことで。じゃあ、僕はこれで失礼するよ」
 そう言うと冬馬は颯爽と去って行く。残された律佳は掛ける言葉が見つからずその後ろ姿を黙って見送っていた。


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