恋は質量保存の法則
第八話
自室に戻り制服姿のまま律佳はベッドにうつ伏せに倒れ込む。那津から言い渡された転校の話がショックと言えばショックだったが、過去に一度経験した出来事でもあり割り切って受け入れることが出来た。
何よりもショックだったのは、こんなに仲の良かった那津と大人になって交流が途絶えていた未来を迎えていたいう事実だった。当時も今も那津への信頼感は変わっておらず、卒業後なぜ音信不通になったのかも思い出せない。
(確か卒業した後も電話やメールのやり取りはしてたはず。住んでいる場所も教えてもらってたし、何で連絡が途絶えたんだろう。今さらながら理解出来ない)
ドアに掛かるカレンダーを横目に卒業後のやり取りを回顧してみるが詳しい内容は思い出せない。喧嘩別れをしたような記憶も無く、再度転校をしたと言ったような連絡も無い。
どちらが一方的に連絡を絶ったのか理由も経緯も分からないが、人生をやり直すチャンスを得た以上今度こそは那津を大事にしたいと考える。
(人の記憶って案外当てにならないのかも。未来を知っていれば盤石な人生を歩めるって考えてたけど、そんな簡単には行かないんだな……)
人生の難しさを実感しながら考え込んでいると、机に置いてある携帯電話の着信ランプに気がつく。おもむろに起き上がると液晶画面を見て履歴を確認をする。そこには純平の文字が表示されており、見た瞬間落ち込んでいたテンションが少々上がる。
折り返し連絡をするといつもの神社で落ち合おうと言われ、一も二も無く快諾し鏡で髪型をチェックすると颯爽と部屋を後にした――――
――まだ昼の三時ということもあってか冬でありながらも外の陽気は気持ちが良い。那津との事が気に掛かるものの、意中の彼に会えるとなると心は自然と踊る。
コートも羽織らず元気な足取りで船戸神社の鳥居の前まで来ると、狛犬の後ろに立つ制服姿の男子生徒が目に入った。いつもは神社の境内で落ち合っており、訝しがりながらも律佳は駆け寄る。
「坂本く……」
声を掛けようとした瞬間、その男子生徒が純平でない人物だと気がつき咄嗟に距離を置く。
「あ、ごめんなさい。人違い」
背格好が純平に似ているその生徒は律佳の声で振り返る。その顔は図書室でいつも見ていた顔でドキリとさせた。
男子生徒は律佳の顔を見つめたままじっとして動かない。律佳も予想外だった人物の登場に戸惑い動けない。何よりもこの階段の上で待っているであろう純平との関係を、第三者に知られることにも躊躇いがある。
相手の意図が読めず黙っていると男子生徒の方から口を開く。そのセリフは律佳を否応なく緊張させた。
「坂本君に会いに行くんでしょ? 彼には気をつけた方がいい」
返答しようの無い突然のアドバイスに立ち尽くしていると、男子生徒は真面目な顔つきのまま律佳の横を通り過ぎ去って行く。
純平の何を知っていて何に気をつけて良いかのアドバイスもなく、ただ漠然とした不安だけを植え付けられた律佳は困惑した表情でその背中を見送ることしか出来ない。
予想外な邂逅とその言葉に神妙な面持ちで石階段を昇っていると、境内の隅に寄り掛かる純平の姿を先に見つける。気持ちを切り替えて傍に進むと純平の方から笑顔を見せ律佳も倣って微笑む。
「こんにちは、坂本君」
「こんにちは、立花さん。今日は遅かったね」
「ええ、ちょっとね……」
男子生徒から掛けられた言葉が頭に引っかかる中、律佳は純平の隣に座る。
「突然呼び出して申し訳ないんだけど、冬休みを前に立花さんに色々聞いておきたいことがあってさ」
「聞きたいこと? 何?」
「幾つかあるんだけど、まず春からの進学先。具体的に決まってる?」
「歩んできた既定路線だと南校に進学。安定した落下の未来を迎えるためにも進路は変えない方が良いんでしょ?」
「その通り。当然ながら僕は南校に進学はしないってことになるか。僕らは中学卒業以降会ってないって言ってたしね」
中学卒業以来会っていないというセリフで律佳はふと疑問を感じる。
「思ったんだけど、既定路線だと卒業以降会わない方が良いってことにならない? その状態でどうやって未来の私を救ってくれるの?」
「基本的に会わないってだけで、大きな路線変更を伴わなければ普通に会って良いと思う。やっちゃいけないのは進路や他人との交際の変更。人生を大きく左右するような選択と言えば分かり易いだろうね」
「進路や交際……」
交際と言う単語を聞き、それが純平とのことを指すのだと瞬時に理解する。過去の歴史だと律佳は純平とは交際しておらず、その選択をしなければ転落という結果には辿り着けない。
救ってほしいと思う傍ら、その願いは純平との交際を否定するものでもあり律佳は内心困惑する。普通に会うことができたとしても、意中の相手と恋仲になれないとなると複雑な心境になってしまう。律佳は戸惑いながらも質問を投げかける。
「確認をしたいんだけど、既定路線から外れるような選択はしない方が良いのよね?」
「すれば未来は確実に変わる。現状僕とこうして会って話してるだけでも本当は危いと思ってるくらいだよ。ただ、日常生活の範囲内で過去の歴史と大きく変わらず生きていれば、同じ人間である以上同じような選択をし同じような人生を歩むと思う。大人になって子供の頃を振り返り『もっと勉強していれば良かった』なんて言う人がいるけど、もし仮にその人が子供に戻ったとしても人間としての本質は同じな訳だから戻ってもやっぱり勉強せず遊んでる、って感じかな」
「でも私は中間テスト二位を取ったわ。過去の人生で一度も取ったことがないものよ」
「最近の期末テストは?」
「それは……」
「勉強しなかったろ? それが本質。つまり未来に対して大きな変化はもたらしていないってことさ。時を超えても同じような人生を歩むのが、変わらない人間の本質だと僕は思ってる。だから立花さんが大きな路線変更をせずこれから先普通に生きていけば同じ未来が待ってるはず」
純平の考えが律佳自身の動向に照らし合わせても納得できる部分があり押し黙ってしまう。幾ら未来の知識や記憶があろうと律佳が律佳であることは変わらず、人生の選択は似通ったものとなる。
それはこの先の未来、決まった進路を辿り正晃と結婚するということを意味し、心の中には暗い絶望感が明確に拡がっていく。タイムスリップ以降、正晃との苦い結婚生活の記憶も薄れ、その顔すらも忘れかけていただけに律佳の拒否反応は大きい。
「……嫌よ、そんな未来」
「立花さん?」
「そんな未来を迎えるくらいなら、誰かを犠牲にしてでも私自身の人生を変える。私の人生は私のものだもの!」
突然語気の強くなった律佳に純平は驚き、その横顔を凝視する。
「どうしたの立花さん?」
「ごめんなさい坂本君。私、貴方の言う既定路線の人生は歩めない。だってその先にあるのは地獄だもの」
「……どういうこと? 良かったら詳しく聞かせて欲しい」
言い難い内容でありながらも純平の真剣な眼差しを受け、律佳はこれから先どんな人生を歩み何故最終的に崖での転落に至ったのかを語った。