恋は質量保存の法則
第九話

「私はダメな選択を繰り返し結婚に至ったの。だからこそ、今回の人生は自分に正直になって生きたい。本当に好きな人と一緒に過ごしたいの」
 純平への想いは隠しながらも律佳は抱えている本音を暴露し押し黙る。その切実な表情から純平も想いの深さを察し神妙な表情になっていた。風に揺られ立つ森のさざめきが流れる中、黙り込む律佳に対して純平は困った顔で頭を掻きながら口を開く。
「つまり、立花さんは未来の知識や経験を元に人生を変えたい。例え誰がどうなろうと、ってことか」
「ええ……」
「そうか、僕は単純に足摺岬での転落回避だけを考えていたけど立花さんは違ったんだな。ふむ……」
 そう言って腕組みをすると純平は考え込む。律佳は自身の我が儘な考えを当然理解しており、純平に軽蔑される可能性を心配する。しばらくの沈黙後、腕組みを解き律佳を向く。
「大きく動くことによる代償の話は覚えてよね?」
「ええ、勿論。沢山の人の人生を変えることになるのよね」
「うん、それともう一つ。歴史の修正力も大丈夫?」
「何をしても未来は変えられない。私で言うなら、どう足掻こうと未来で必ず転落するってことでしょ?」
「ちゃんと分かっているなら問題無いね」
 問題が無いと真顔で言い切る純平に律佳は疑問を呈す。
「既定路線を変えて沢山の人の人生を変えるのに、何で問題が無いって言い切れるの?」
「人生が変えられたなんて誰にも分らないし判断もできないことだからだよ。立花さんにとっては二度目の歴史でも、僕を含め全ての人には今が一度目で紛れもない正当な歴史という認識しかない。未来が変わったと思うのは立花さんだけなんだよ。ただ、そうやって変えた先の未来では立花さんの身に何が起こるのか、立花さん自身も分らなくなる。転落が起こるとしても時期や場所も変わって来る。勿論、転落という未来自体が来ない可能性だってある。でもね、僕が言った歴史の修正力が働いたときは怖いよ。救う手立てがない。だって、既定路線を変えた立花さん自身も知らない未来で起こってしまう出来事になるのだから。問題が無いって言ったのは、そういう全てのリスクをひっくるめてでも変える意思があるって言うのなら止めないよって意味。最初に言ったように、この先の未来が変えられたものなのか、はたまた既定路線を辿ったものなのかなんて僕には分らないことだからね」
 純平のセリフはどこか突き放すような感じがあり、それは意に沿わないことだからだとも理解する。未来を変えることで救えなくなる可能性が出てくることも分かるものの、未来を変えないことで再びあの牢獄のような未来をたやすく選択するというのも憚られる。
 自身に関わる多くの人の未来を変えてしまうかもしれないというリスクも危惧されるが、周りの人の為に自分の幸せを放棄することも違うと思う。相反する考えが頭に渦巻き、律佳は思い詰めたような険しい顔で地面を見つめる。
(どうすればいいんだろ。自分だけの幸せやリスクの回避を考えれば、未来の知識や経験を利用して有利に人生を謳歌すればいい。でもそうすることで誰かの未来を犠牲にするのも心苦しい。坂本君の言う通り仮に私が未来を変えたとしても、その新しい未来を変えられたと歴史だと感じる人なんて居ないんだろうけどあまり良い気はしない……)
 明確な答えが出せないまま俯き固まっている律佳を純平は真剣な目で見つめていたが、穏やか笑みを浮かべて話を切り出す。
「他人の人生にあまり押しつけがましいことは言いたくないけど、やっぱり既定路線は崩さない方が良いと僕は思う。その中でも、立花さんは立花さんらしく生きればいい。さっき同じような人生を歩むって僕は言ったけど、あくまで似たような選択をするってだけで必ずしも完全一致な路線を歩むことはないと思う。大きな流れの中で、変えても支障がないと思う点があれば自由に振る舞えばいいし、きっとその選択すら既定路線から大きく逸脱しないものだと思う。なんせ選択するのは本人なんだからね。だから既定路線の範囲内で自分らしく生きる、っていうのがベストじゃないかな?」
「既定路線の範囲内。結婚相手は変えない方が良いのよね?」
「うん、結婚は人生を大きく変える事象だから。晩御飯のメニューやどこに遊びに行くとか日常の生活範囲は深く考える必要はないけど、人との交際や進路、就職は慎重に選択した方がいいね」
「結局はまたあの牢獄へ戻らないといけないのね」
「牢獄って、そんなに酷い生活だったの?」
「生活水準って面だけで言えば裕福だったと思う。でもお互いの心が全く通わない生活で一緒に居る意味を全く見出せなかった。相手の顔色を気にしながら嫌われないようただ言いなりの生活。恋愛とか人を愛することを知らず結婚した代償なのかもしれないけど、自分の存在や幸せを全く実感できず生きていた哀れな囚人なのよ」
 純平には知られたくなかった自身の情けない生き方を自嘲気味に吐露する。嫌われる可能性も脳裏をかすめたが、再び同じ結婚生活を迎える絶望感には勝てず弱音が出てしまう。
「結婚の果てに崖での転落があるんだろうけど、あの結婚生活に再び戻るくらいなら私は……」
 律佳が覚悟のほどを口にしようとした刹那、純平はそれを遮るように口を開く。
「分かった、皆まで言わなくていい。立花さんがどれほどの想いで結婚生活を送っていたかは伝わるし、未来を変えたくなる気持ちも分かる。立場の差はあるかもしれないけど、僕は過去からタイムスリップして暗殺という人生の結末を知った。そして、それが運命だと理解してるし諦めもついてる。でも、もし逆の立場で暗殺を知った未来から暗殺前の過去へと遡ったとしたら、今の立花さんのように未来を変えたいと思うのかもしれないしね」
「坂本君……」
「僕の考えでは不明瞭で危険で動向になるけど、立花さんが望まない未来を強要するのも正しい選択とは言えない。タイムパラドックスや歴史の修正力を理解してるのなら、立花さんは立花さんの思うように生きれば良いと思うよ。同じタイムストリッパーとして協力できる点は協力して行くし、岬での転落に繋がる未来ならば可能な限り助けに行くよ」
「ありがとう、坂本君……」
 純平の言葉で心がほんのり温かくなるのを感じ、それと同時に改めてこの横顔に恋をしているのだと律佳は思う。
 進路の話を詳しくした後は何事もなく帰宅の途に着き、その場の雰囲気から初キスも期待していただけに少し残念な気持ちもある。その一方、神社の前に居た男子生徒の存在と言葉も引っかかる点があり、彼がどんな存在で何を企んでいるのか気に病む。
 しかし、純平も言っていたことだが、まずは目先の受験をどうにかクリアするべきだと言われ、人生二度目の高校受験を控え違う意味で緊張していた――――


――南高校での受験を無事に終えた律佳は結果発表を待つのみとなる。手ごたえも十分で進路については問題が無くクリアできたと考える。
 そして、今一番に考えるべきことは例の男子生徒の存在であり要調査人物となる。図書室でのチェックで隣のクラスということだけは分かっていたが、元々接点が無く冬休み中と受験で伸び伸びとなっていたが落ち着いた今なら動けるチャンスと言えた。
 いつものように給食を終えると、すぐさま図書室に向かい入り口付近で待機する。男子生徒が来ない可能性も考慮していたが、律佳が来て間もなく相手も現れ視線が合うと相手の方から歩み寄ってきた。
「こんにちは、立花さん。僕を待ってたって感じかな?」
「ご名答。貴方に冬休み前言われたことが気になっててね。詳しい話が聞きたい」
「詳しい話、ね。僕に答えられることなら話すよ。念のため場所を変えようか」
 男子生徒の言われるがまま図書室から離れた屋上への階段にある踊り場で向かい合う。初めて話す相手ながら、穏やかな物腰からどこかで会ったような親近感も持つ。
(初めて見たときから思ってたけど、この優しい目元とかどこかで見覚えあるような……)
 黙って顔を見つめていると相手の方から問いかけてくる。
「で、僕に聞きたいことって?」
「あっ、ごめんなさい。えっと、私の方から誘った身ながら失礼だとは思うんだけど、まず貴方誰?」
 失礼な質問で少々照れる部分もあるが、名前も知らないでは話にならない。相手も律佳の考えを理解したようで、戸惑った顔で頭をさする。
「そこからか。僕は冬馬。ほら、靴の後ろに書いてる」
 そう言いながら上履きの踵の部分を見せる。
(そう言えば中学って上履きに名前書いてたんだった。何たる安直な解決策)
 自身の観察力のなさに呆れながらも本題を切り出す。
「冬馬君ね。それで前に神社で私に言った、坂本君に気をつけろってどういう意味?」
「そのまんまの意味。気をつけた方がいい」
「いやいや、具体的にお願いします」
「具体的には言いようがない」
「それじゃ気をつけようがないんですけど」
「確かに。まあ全般的に気をつけるということで」
「意味が分からない。で、その根拠は?」
「それは言えない」
 不毛かつ非建設的な問答に律佳は呆れて物が言えない。気をつけろと言いながら具体的なケースも対応方法も根拠もないとなると受け入れようもない。
「冬馬君、自分で言ってて支離滅裂だとか思わない?」
「思うよ。でも、僕の立場からすると現状そう言わざるを得ないというのが本当のところかな」
(現状、立場? この回りくどい言い方。何か怪しい。まさか冬馬君もタイムストリッパー?)
 純平との件もありタイムストリッパーの可能性を考えるが敢えて秘匿する。
「冬馬君が私の何を知っていて何に警鐘を鳴らしているのかは分からないけど、何か魂胆でもあるの?」
「魂胆なんてないし、立花さんのことについても詳しくは知らない。ただ、坂本君については注意した方がいい。理由は僕自身も現状分からない。支離滅裂なのは承知の上で言ってる」
「ホント意味分からないし。たぶん冬馬君は坂本君のことを知らないだろうけど、彼は私のことを真剣に考え助けてくれている親友なの。悪く言われると良い気分はしない。根拠や証拠があればまだ受け入れられる部分があるんだろうけど、聞いている限りだと冬馬君の妄想としか取れないよ」
「ごもっともな意見だね。ともかく僕の言ったことについては頭のどこかに置いておく程度はしてほしいかな。冗談や妄言を言ってるつもりもないからね」
 真面目な表情でそう言い切る冬馬を見ても、律佳の中では不信感しか芽生えず黙ってその場を後にする。
(ほとんど話したこともなく、どんな人柄かも分からない相手のアドバイスなんて素直に聞けない。そもそも坂本君は私の未来を救ってくれる唯一の人だもの)
 冬馬の存在に懐疑的な感情を抱きつつ渡り廊下を歩いていると、正面の階段から降りてくる純平の姿が目に入りドキリとする。
 初恋の相手でもあり過去や未来の自分を理解してくれる純平の存在が、今の自分の生き甲斐なのだと改めて感じていた。


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