メガネの王子様
今更なんです
「おっす」と自転車で家まで迎えに来てくれた健ちゃんは、今朝も自分の手袋を外し私につけて、「じゃ、行こっか」と笑顔でペダルを漕ぎ出した。
いつものように健ちゃんのお腹に手を回し後ろに乗っている私は、顔が見えないことに今ホッとしている。
教室で桐生に抱きしめられたあの日から、健ちゃんの前で上手く笑えているか不安なんだ…。
健ちゃんのことは好きなのに、桐生の事を思い出すとまた甘い気持ちが膨らんで胸が苦しくなる。
私を好きだと言ってくれている健ちゃんの側に居たい。そう思っているのに、どうしても心は桐生の方を向いてしまう。
こんなに私に一生懸命になってくれているのに、なんで健ちゃんじゃなくて桐生なの?
私が今付き合っているのは健ちゃんなのに。
そう思うと罪悪感から上手く笑えない。
「神崎。」
健ちゃんが前を向いたまま私を呼んだ。
「なに?」
「今度の土曜日、デートしようぜっ。」
軽く振り向いた健ちゃんがニカッと笑って言った。
「えっ⁉︎///」
「何か予定入っちゃってる?」
「う、ううん。入ってないよ。」
「じゃ、決まりな。時間とかはまたLIMEするよ。」
「え、…うん。分かった。」
「よーしっ、頑張るぞーっ!」と叫びながら勢いよくペダルを漕ぎ始めた健ちゃん。
あっと言う間に学校に着いて自転車置き場に自転車を置く。
「あ、俺、部室にコレを置いてくるから神崎は先に教室に行ってて。置いたらすぐに追いかけるから。」
健ちゃんはニコニコと笑顔でバッシュ入れを持ち上げて私に見せてから、部室に向かって走って行ってしまった。
「あはは。健ちゃんは今日も元気だな。」
健ちゃんが笑顔でいてくれると私はホッと安心する。
少し健ちゃんを見送ってから私は昇降口に向かった。
「おはよう」と挨拶が飛び交う昇降口。
入った瞬間に私はピタッと足を止めた。
ーーーなんでいるの?
そこには靴箱にもたれながら誰かを待っている桐生の姿があった。
べ、別に私を待ってるわけじゃないから関係ないじゃん。
無視して靴を履き替えればいいだけ。
私は深呼吸をしてから桐生を一切見ずに靴箱まで行き手を伸ばしたが、私の手は桐生の手に遮られ、上履きを取り出すことが出来なかった。
「何するの?邪魔だから手を退けてよっ。」
私はキッと桐生を見上げ睨みつける。
「少し時間、いいですか?話がしたいんです。」
敬語で表情を変えずに返事をする桐生に、なんだか無性に腹が立って、私は無視して上履きに履き替えようとした。
今更、何の話があるっていうの?
私の事が嫌いなのになんで近づいてくるのよ。
もぅっ、意味が分からないよっ。
「ちょっと、来いよ。」
そう言った桐生は私の手を強引に掴み歩き出す。
「離して」と何度も言ってるのに無視されて、引きずられるように体育館裏まで連れて来られた。
人気のない体育館裏まで来てやっと手を離してくれた桐生。
「私は話なんてないからっ。」
そう言ってすぐにその場を立ち去ろうとしたのにーーー
「ごめんっ!」
深々と頭を下げ謝る桐生に驚き足を止めた。
「修学旅行のとき、神崎の話を聞こうともしないで本当に悪かった。」
私はあの時のことを思い出しズキンと胸が痛くなる。
「俺に関わるな」
「話し掛けないで貰えますか。」
あの桐生の言葉のせいで、私は食欲もなく眠れない日が続いた。
最近やっと陽葵や健ちゃんのお陰で眠れるようになってきたのに…なんで今になって謝ってくるの?
「もう、どうでもいいよっ。」
私は腹が立ち桐生を睨みつけてから、一度止めた足を再び動かす。
「待ってくれっ!」
私は手首を掴まれグイッと力強く引っ張られて桐生に抱きしめられてしまった。
「やめてよっ!離してっ!」
力一杯に桐生を押し退けるが、更に力強く抱きしめられ身動きが出来ない。
頭ではダメだとわかっているのに、私の心はドキドキと甘い音を立てていた。
「本当に…ごめん。あの時、お前のことを信じられなかった自分がすごく情けないよ。お前が俺のこと裏切るようなことするわけ無いのに。」
ぎゅっと私を抱きしめた桐生の声が少し震えていることに気付く。
あの時、私を信じられなかったことを本気で後悔してくれてるんだ。
私が今ここで許せば以前のように桐生と笑い合える。
側に居ることが出来る。
そう思うと嬉しくて涙が零れ落ちそうになる。
でも、私は健ちゃんの彼女。
前みたいには戻れないよ。
今だって胸がドキドキとして苦しいくらい桐生のことが好き。
ーーーでも。
「離してっ!」
そう叫び、桐生の腕が緩んだ隙に私はその場を全力で走って逃げ出した。