運命は硝子の道の先に
「それで、何で今日はここに?」
「まあ、とある事情で弱みを握られまして」
彼に、とカウンターの端に目を向けると、そこにはヒロの姿はなかった。それどころか、女性客の方も消えてしまっていた。どれだけの時間をここで過ごしていたのか。
そこに姿がなくとも、アキには視線と表情で分かったらしく、話の続きを促した。
「あれから五日と経たないうちに、このバーにまた来ることになったというわけです」
「それは、それは……見事にヒロの手の内で踊らされているようで」
「ですよね。やっぱりそうですよね」
私も扱いやすい女性の一人なのか。だからロクな男に出会わないのか。
思わず頭を抱え、唸っていると、アキは何も言わずおしぼりを差し出した。生温かいその布はやっぱり心地よくて。冷房が効いて、指先まで冷えてしまっている私には天の救いのようにも感じた。
最初は野暮ったいと思ったこの店員も、飾らぬ発言がなかなかに良い。話の合間に見せるふとした表情、憂いを湛えた瞳も嫌みが全く無い。
「ヒロのことはともかく、その蓮って人には気を付けた方が良い。このまま関係が進んでも、君が傷つくだけだし、互いに時間を無駄にするだけだ。早いところ区切りをつけた方が良い、彼のためにも、君のためにも」
「……」
慎重に、丁寧に。硬くなった心をほぐしていくアキの言葉。
私と蓮の関係に先がないことくらい分かっていた。浮気しては許し、また裏切られては諦めて。堂々巡り、同じことの繰り返し。私たちはそこから抜け出せないまま、ただ腐っていくだけ。だけど────
「でもさ、別れることができたら、こんなに悩まないでしょ」
「はい、それができたら今頃もっと美味しいお酒を飲んでますよ。あっ、もちろん味は美味しいですけど。……誰かに正論を述べられても、事実を突きつけられても、それ通りには動けないというか」
「当たり前だ、それが人間なんだから。寧ろ理屈通りに生きている方がつまらないよ。……だからさ、辛いこと、苦しいことはお酒で流したらいい。もちろん美味しいお酒で。適量に、ね」
「ふふっ、そうですね」
力強い目元が途端に緩む。私はそのときになって分かった、この人は笑うと幼くなるのだと。瞳の中におどけた少年が住んでいるようで、アキは微笑みで雰囲気を和ませた。薄暗く感じていた店内が一気に華やぐ。ああ、この人であれば信頼できるのかもしれない。
私は心が軽くなるのを感じた。傾けるグラスも、もう重くはない。それよりも、この人ともっとお酒を飲みたかった。くだらないことを話して、辛いこと、苦しい時間の分、笑っていたかった。
だが、人生はそんなに上手くはいかない────
「ちょっと飲みすぎじゃないか」