運命は硝子の道の先に
Ⅱ ひとつの傘より
1 貴女の隣
彼の電気信号に焦りはない。夕凪に立っているかの如く穏やかだ。
「今週の金曜日は出張なんだ」
「どこに」
「福岡。上司と一緒だから、特別長い旅になりそうだ」
「本当に上司と一緒なの」
「そうだよ。信じてくれよ、一花。過ちは犯したけど、俺には一花しかいない。本当だ」
真実の愛を誓う嘘つきの唇。憎たらしいが、甘い言葉を無下に返すことはできず。二、三言話してから通話を終了した。時間にして七分。付き合って一年のカップルとしては上々なのだろうか。
スマートフォンを置こうとしたところで、通知音が鳴る。結衣からだった。
『今日のお夕飯。久しぶりに作ったの』
可愛い絵文字とともに送られてきたメッセージ。時間を置くことなく写真も送られてくる。見れば、大きなハンバーグからチーズがとろり、脇には温野菜まで添えられていた。料理は得手だと聞いてはいたが、プロも驚く出来栄えだ。それに、何といっても焦茶色のテーブルに置かれた白いお皿。ゴールドとネイビーのラインが入っていて洒落ている。
「センスあるなあ」
私は素早く指先を動かすと、うさぎが右手の親指を突き出し、ウインクをしているスタンプを押した。送信されるとスピーカーから『さすがだね』という弾んだ声が流れる。このスタンプも確か結衣に薦められたものだ。可愛らしいものを一つくらい持っておきなさい、とか何とか。結局男に送ることはなく、結衣が画面の向こうで笑うだけとなっている。
「可愛らしさ、かあ」
スマートフォンを持ったまま、勢い良くベッドにダイブ。狭いワンルームに鈍い音が響く。寝転んで、濡れた髪を拭いていると、何となく悲しくなってきた。
月曜日から木曜日まで塾講師のアルバイト。金曜日にだけお洒落をして、あとは中年親父のようにぐうたらと休日を過ごすのだ。今日も今日で、日曜日のうららかな午後をベッドの上で過ごし、やっとお風呂に入ったところ。女の子らしさなんて持ち合わせようもなかった。
それでなくても最近はお金が飛んでいるのだ、飲み代に。あれからバーには二、三度顔を出している。蓮に予定をキャンセルされた日だけ、と思っていたのだが、ここ数週間はキャンセル続きだった。お金が飛ぶ分、精力的に働かなければならない。おかげで、もうへとへと。着飾って優雅にショッピングをする気にもなれない。
女らしさも失われ、蓮との逢瀬もなくなり。
蓮との関係は完全に危うくなっていた。
「もう、潮時かな」
髪から滴る雫を拭き取りながら、私はそうひとりごちた。