運命は硝子の道の先に
もう一度、入り口の前に立つ老紳士を見る。濡れ方から見ても、小雨とは言い難いほど降っているらしい。これでは駅まで走るにしても、傘なしではずぶ濡れになってしまうだろう。おまけに今日はヒールを履いている。無茶な走りもできない。ヒロはそのことを案じていたのだ。
「どうしよう。このままじゃ帰れない」
「一応店は朝五時まで開いてるが、止むまで待つのもなあ」
「……そうだよねえ」
と言いつつ、お冷をまた一口。
確かにバーで長居をするのは余り良いこととは思えない。例えヒロや他の店員が許してくれたとしても、混み合う店内に一人の客がずっと居座り続けるのはどう考えても迷惑だし、客が引いた時間になってもそれはそれで気を遣わなければならない。一応常連客なのだから。
さて、どうしたものか。
タンブラーに指を這わせ、ガラスの道を描いていく。そうして考えども、やはりここで待つという選択肢しか出てこなかった。雨が止まないとどうしようもないのだ。ヒロは悩ましげに数秒唸ると、ついにはバックヤードに消えていった。
午後十一時十三分。終電車まであと二本。決断するなら、今しかない。
「気合を入れて、いこう」
鞄を肩に掛け、立ち上がったときだった。
「おい、ちょっと外に出ろ」
「え……」
ヒロが奥から顔を出し、ホールの方に出てきた。口調は乱暴、表情も勤務中にも関わらず笑顔の一つもない。だが、どこか必死さを感じて、私は言われるがままに歩いた。急いで会計を済ませ、ヒロを追って外に出る。思った通り土砂降りの雨、それも生温い雨だった。
「どうしたの、ヒロ」
「これ差して行けよ」
ぼん、と勢い良く開く音。聞き慣れたそれは、ヒロが持つ黒い傘から発せられたものだ。大人二人をすっぽり覆うほどの大きなジャンプ傘。きっとヒロの私物だろう。
「でも、これ……」
「いいから。早く行かないと、終電逃すだろ」
「でも……」
ヒロはまた頭をかいて、軽く舌打ち。これが他の客だったらクレームの一つや二つ入れられているだろう。だが、ヒロはそんなのお構いなしに更に傘の柄を押し付けて、こう言い放った。
「……ったく、お前に風邪引かれる方が迷惑なんだよ」