運命は硝子の道の先に

「なんだ、蓮か」

 恐る恐る鞄に手を伸ばして確認すると、それはよく知った人からの着信だった。でも、おかしい。蓮がこの時間に電話をしてくるなんて。それも今週末は出張だという話ではなかったか。
 鳴り止まない着信音。初期設定から変えていないそのサウンドは部屋中に響き、早く出ろと促しているようだ。この画面の向こうには、あの蓮がいるというのに。私はなかなか通話ボタンを押せなかった。ふと我に返ったのだ。今、私は何をしているのだと。
 数回会っただけの、しかも身体の関係をもったかもしれない男の部屋に立っている。目の前には二人で寝たはずのベッド。布団の柄も、シーツの感触も知っている。この状況で平常心で対応しろという方が無理だ。
 だが、出ない訳にはいかない。指先の震えを抑えながら、画面の緑ボタンを押した。

「も、もしもし」

「あ、一花。やっと出た」

「ごめん。今立て込んでて」

「え、あ、じゃあ掛け直そうか」

「いいのいいの。もう大丈夫だから」

「そっか。今どこにいるの」

「い、今? 普通に、部屋だけど」

「ふうん、部屋ね」

 嘘ではない。自分の、ではないだけだ。
 とりあえず落ち着こう。動揺してはいけない。どこかに座ろうと辺りを見回したが、ベッドに腰を下ろす訳にもいかず、床に座り込んだ。毛足の長いカーペットがふくらはぎをくすぐる。

「蓮、出張はどうしたの」

「ああ、急になくなってね。向こう側の都合がつかなくなったらしくて、来月の金曜日にスケジュールをずらすって形になったよ。本気で焦った、突然の変更だったから」

「そっか、お疲れ様。大変だったね」

 実に穏やかな声色だったが、言葉の端々に疲れも感じ取れ、本当に慌ただしい一日だったのだろう。私はと言えば、目の前に落ちているシャツに気が付き、その無造作な様子に片眉を上げたところだ。どんどん湧き上がる罪悪感。いつもは被害者面をしている私だが、この状況で責められるのは自分の方。ただでさえ居心地の悪い部屋が、更に窮屈に感じられた。

「それでさ、一花。いきなりなんだけど」

「何、どうしたの」

「今から会えないか」

「……えっ」

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