運命は硝子の道の先に
忘れ物は災いの元。そう考えていたのに、うっかりしていた。肝心の傘を一本しか持ってこなかったのだ。
お店の前で二人、呆然と立ち尽くす。ヒロは呆れ顔で私を見下ろした。
「おい、昨日と状況が変わってないじゃねぇか」
「……確かに。でも、まあ、大丈夫」
「大丈夫って。傘無くて、どうやって駅まで行くんだよ」
「き、気合?」
「……馬鹿か」
冷静なツッコミ。私もヒロの立場だったら、きっと同じ反応をしていただろう。この雨の中、傘も無しにヒールで走ろうとは、馬鹿もいいところだ。それができないと思ったから、一晩ヒロの部屋に泊まったというのに。
「とりあえず、俺の家に行くか」
「……そう、なりますよね」
「お前は俺に迷惑をかけるスキルでも持ってるのか」
「そんな訳な、……いや、そうかも」
そう言ってうなだれると、ヒロは目を細めて、嫌味な表情で笑った。本当にムカつく。ムカつくが、今はただ頷くことしかできない。実際、ヒロには何度も迷惑をかけてしまっているのだから。
結局他の道もなく、ヒロの提案に乗ることにした。
さっき歩いて来た道をまた戻る。でも、四半時前と違って、今は隣にヒロがいる。ヒロが差す傘は少し高くて、身長の差を感じさせられた。高い分、雨にも濡れにくい。自分で差しているときには気付かないことだ。
昨日は生温かった雨だが、朝早いこともあってか、今日は少し冷たい。時折触れる肌と肌だけが温かく、どこか安心できた。
人気もなく、静かな裏通り。今日は休日だ。店の片付けをする人以外はきっと眠っているのだろう。もし、予定がなければ、だ。このご時世、休日に仕事のない人がどんなに恵まれているかということは、アキから重々聞かされていた。
「ねえ、ヒロはどうしてここに住んでるの」
「あ?」
「ここって飲み屋ばっかりであんまり治安も良くないし、それに大学から遠いじゃない」
「……まあな。でも、見ろよ」
ヒロは通りの端にあるお店を指し示した。ちょうどそこから、少し派手な着物を着た女性と五十代くらいの男性が出てきている。飲み過ぎた男性の肩を支える女性は、どこか面倒そう。それでも放り出すことなく、二の腕に力を込め直す。
「あの人たちが、どうしたの」
「お前が言うように、ここは確かに良い所じゃない。酔っ払いのおっさんに水商売の姉ちゃん、おっかないお兄さんまで揃い踏みだ。だけどな、ここを見てると生を感じるんだよ。酒を飲んで、本性露わにして、騒いで暴れて。人間の一番暗い生を見ている気分になる。それ見てると何だか安心するんだ」
「安心?」
「そ。俺はまだ大丈夫だって」
「それって、……ちょっと卑屈過ぎない?」
「ああ、一番黒いのは俺だから」
「なにそれ、馬鹿みたい」
「馬鹿かもな。お前よりはマシだけど」
「……う、うるさい」