運命は硝子の道の先に
「そう、なんだね。だからあの日も優しくして、」
「そんなこと、どうでもいいだろ」
「どうでも良くない……良い訳ないでしょ」
とっくに気付いていた事実に心が揺れ動く。ゆらゆら、ゆらゆらと。まるでたっぷりの水で満たされたゴブレットのように。たゆたう感情は、やがてその淵から勢い良く、溢れ出す。
「ヒロは悪い人じゃない。その笑顔も態度も言葉も、仮に全部作り物だったとしても、心は、心の奥底は温かいって、優しいんだって、知っているから」
見苦しいだなんて言っていたけれど、私が外で恥をかかないよう貸してくれた黒いジャージ。わざわざ他学部まで届けに来てくれた学生証。酔い覚ましのためにくれたミネラルウォーターも。
人を思う心があるからできる行動だ。
……だから、ヒロは悪い人なんかじゃない。
「ヒロは……、ヒロは、誰よりも良い人だから」
「……っ」
「そんな嘘で自分を塗り固めなくても、きっと人を魅了できる。素敵なバーテンダーになれるよ」
「……お前には、関係ないだろ」
「関係あるよ、大ありだよ」
「お前と俺の間に、一体何があるっていうんだよ!」
「だって私、……ヒロとの出会いが運命だって信じてるか、」
その瞬間、私は全身が熱に包まれるのを感じた。
これは先ほどまで、私を雨から守る手から感じていた熱。そして、あの運命の夜、眠った私の肩を優しく叩いてくれた、あの手の温もり。間違いなく、ヒロの体温だ。
それが肩や腹、背中だけでなく、唇さえも包み込む。
そう、私はヒロに抱かれ、口付けられていたのだ。
久しぶりの唇の感触。ゆっくりと頭ごと寄せられ、頰と頰がぶつかる。
止めようと思えば、止められたのかもしれない。
でも、私は動けなくなっていた。本能が叫んでいた。
────どうか、このまま、と。
衝撃に閉じていた目を薄らと開く。
目に映ったのは、酷く濡れたアッシュブラウンの毛先。そして、何の遮る物も無く、雨に無防備に晒される傘の裏側だけ。