運命は硝子の道の先に
「な、んで……」
真っ黒な狸。そう呼びかけられたことに驚き、起き上がると、男は少し離れたところで私の顔をじっと見ていた。その口元は愉快そうに緩んでおり、私が狸寝入りしていたことまでお見通しという表情。もしかして分かった上で、いびきなぞという嘘を吐いたのか。
男は私の思考が読めたかのように、口を開いた。
「そう、分かってた。全部、な。それに俺が行動を起こすたびに肩がビクビク揺れている。あれじゃあ、気が付くなという方が無理だ」
「そ、それは……」
「気持ちは分からなくもない。目が覚めたらベッドの上。知らない天井に、床には男物の服。おまけにシャワーの音まで聴こえてくる。これは気が動転しても仕方がない。だが、眠ったふりとは。バレバレだったぞ」
さらなる恥ずかしさに頬が熱くなる。分かっていて、それであのように試し、からかうとは。何とも意地汚いではないか。これが先ほどまで私を気遣い、優しく言葉を掛けてくれたあの店員なのか。
「俺の変わり身に驚いているようだな」
「……っ、どうして分かるの」
「単純なやつの思考は読みやすい」
「た、単純……」
「ああ、聞きたいこと言いたいこと、全部伝わってくる。ついでに答えるなら、俺は間違いなくあの店、『fato』で働く店員だ。お前の前で見せた笑顔も態度も言葉も、全部店用の作り物。つまり嘘ってこと」
首に掛けたタオルで荒々しく頭を拭き、男はカーペットの上に座った。部屋の様子からも分かるが、男は随分粗放な性格をしているようだ。これがあの美味しいお酒を作り、グラスの表面を丁寧に磨き上げていた人と同一人物とは。
「……突然黙るなよ。ショックでも受けてるのか」
「当たり前でしょ。せっかく優しくて、気配りも上手な人に出会えたと思っていたのに」
「だから、それが甘いって言ってるんだ。人との出会いを全部運命だと決めつけて、自分の理想の中に当てはめようとする。そういうやつは、それが少しでも違えば、ああ、これは運命じゃなかったのね、とすぐに放り出すんだ。自己満足で、自己中心的。そういう乙女チックな概念の中に勝手に人を押し込めるな」
捲したてるようにそう言った男は、最後にニヒルな笑いを浮かべて、だから変な男に捕まるんだ、と言い放った。