運命は硝子の道の先に
「な、な、な」
あまりのことに言葉が出てこない。
刺激的な夜。それが意味するものが何か、言うまでもないだろう。
男はにやりと笑って立ち上がり、後ろにあるチェストを開く。そして、しばらく中を探ると、いきなり黒いものをこちらに投げてきた。手の中に収まったものを広げてみれば、それは何の変哲もないジャージ。サイズはかなりの細身とあってか、女性でも着ることができるものだった。
「誰かさんがすぐに寝たからTシャツしか着せられなかった。見苦しいからズボンでも着てろ」
「着せられなかったって、えっ、見たの?」
私は思わず自分の身体を抱きしめた。家族にだってあまり見せたことのない身体だ。それを今日知り合ったばかりの男に見られてしまうとは。これ以上はないというほどの恥ずかしさと惨めさ。女として、何かを失った気すらする。
だが、男はそんな私の様子を見て、一笑。馬鹿にした口調で続ける。
「今さら恥ずかしがることもないだろ」
「ふ、普通恥ずかしいものでしょ」
「どうせもっと恥ずかしいもの見たんだから」
「……ばっ」
馬鹿、ばか、バカ! どうしてそんなこと。わざわざ言わなくてもいいのに。
私は受け取ったズボンを急いで穿いた。男の言葉と態度により完全に頭に血が上ってしまったのだ。ベッドから降りると出入り口へと向かう。ちょうど足元に見慣れた鞄があったので、それも腕に引っかけた。肩に掛けると、鞄の中身が激しくぶつかる音がした。
1Kのアパートとあって、玄関は短い廊下のすぐ先だった。男が何か言いながら追ってくるのも気にせず、私はヒールを履いて、ドアを押し開けた。肌が久しぶりの外気に触れる。とはいえ、初夏の夜。寒さを感じることもなく、歩きにくいヒールを地面に突き刺し、ただただアパートから離れることを考えた。
忘れ物に気が付いたのは、大通りに出た頃だった。
男のアパートは、その通りから一本入ったところにあり、バーにほど近いところだった。アパートから離れ、とにかく街の明かりを求めて出たのは、車通りの多い大きな道。安堵のため息が出たとき、はっと気付く。
「ドレス、……忘れてた」
新調したばかりのドレス。捨ててしまうにはかなり惜しいものだ。
だが、あの場所に戻るのは嫌だ。あの男には二度と会いたくはない。
再び痛みに泣くつま先と踵を時折さすりながら、私は駅を目指した。駅は大通りを真っ直ぐ行ったところにあった。いつもなら何てことない距離。でも、今は────
恋人にまた裏切られ、知らない男にも騙されて。
疼く頭に、足に、心に。あまりの痛みに、私は涙を抑えることもしなかった。