MAS-S~四角いソシオパス~
第十一話

 十二月二十三日、土曜日、緑荒山。
「なんか、腹立つくらい仲が良いですよね、あの二人」
 登山スタイルの静音は木の陰から呟く。竜崎夫妻から十メートル離れた位置より尾行しており、気づかれることはまずない。盗聴器の感度も良好で二人の会話が筒抜けなのは良いことだが、そのあまりのラブラブっぷりに静音はイラッとしている。
「新婚夫婦のノロケ話&いちゃいちゃモードはストレス溜るわ~」
「まあまあ、美しく微笑ましい光景じゃないか」
(アンタ何様?)
「それにしても沙也加さんって旦那さんの前では人が変わったように無邪気で可愛い喋り方になりますよね」
「ん? まあそうだな、アレだ。女ってのはいろんな顔を持ってるってことさ」
(アンタが言うと凄く嘘っぽく聞こえるよ)
「ところで局長、二人が別れてからはどっちがどっちを尾行します?」
「そうだな、ここはやっぱり俺が沙也加さんをつけた方がいいだろう」
「して、その理由は?」
「美人だからだ」
(心底死ね)
「分かりました、では私が沙也加さんを尾行します」
「えっ!? なんで?」
「沙也加さんにセクハラしそうだから」
「なっ、そ、そんなことする訳ないだろ?」
「いえ、これはもう決定事項なので」
「ちぇ、ケチ……」
 きっぱりと言い切る静音を見て竜也は拗ねた顔で言う。
(おまえは子供か!)
「あっ! ヤバい!」
 素早く身を隠すと静音につられて竜也も隠れる。
「どうした雨宮?」
「旦那さんが私たちに気付いたかも」
「何? 結構鋭いな」
(いやいや、アンタの無駄話のせいだから)
「ん、大丈夫みたいです。気のせいって言ってます」
「そうか」
「あっ!」
「今度は何だ?」
「沙也加さんが転んで怪我したみたいです」
「何!? それは一大事! すぐ助けに行こう!」
「って、待て馬鹿! バレちゃうでしょうが!」
 静音は慌てて前を歩く竜也の襟首を掴む。
「じょ、冗談だってば、そう睨むなって」
「局長、私は局長と漫才をしにここに来てるんじゃないんです。本来の趣旨を忘れないで下さい。いいですね?」
 迫力満点の静音の言葉に萎縮し、竜也の背中は丸くっていた――――

――三十分後。
「どうやらここが話してた分岐点みたいですね。Aコースが沙也加さん、Cコースが旦那さんですね」
 マップに前に立つと二人はコースと尾行の確認をする。
「よし、じゃあ俺は旦那さんを、雨宮は沙也加さんに追いついて偽装工作の手伝いをしてくれ」
「了解です。所長もお気をつけて」
 竜也は親指を立てて意気込みを見せるとCコースへと向かう。見送ると静音はマップの表示に従いAコースへと進む。
 急な道とは書いてはいたが、道幅が狭く足場も悪い。このコースを考案した人物がどういう意図で作ったのか理解に苦しむ。息を切らせながら曲がりくねった林道を足早に進んでいると、ピンク色のリュックを背負った沙也加の姿が見える。
「沙也加さーん!」
 駆け寄りながら名前を呼ぶと沙也加は立ち止まり静音を待つ。
「沙也加さん、早すぎ……」
「そう? もう少しで偽装工作に打ってつけの場所があるのよ。着いてきて」
 肩で息をし苦しそうにしている静音に気を遣うこともなく、沙也加はさっさと先を歩き出す。静音は置いてけぼりをくわないように必死について行った。
 そうこうしているうちに先を歩いていた沙也加が立ち止まる。隣に来ると説明を受けるまでもなく先に道は無く、土砂崩れによりごっそりと流れ落ちたことが分かる。
 崖の下には増水した川が流れており、茶色い濁流が木々までも押し流している。この川は近くの湾岸まで続いており、時化になるとその高波は台風波の威力を見せる。その波に呑まれ行方不明になった者も多く、この湾岸線にある岬は自殺の名所としても有名だ。
「ここから落ちればまず助からないし、遺体は増水した濁流に呑まれて海まで一直線。見つかることもないわ」
「ホント、凄い高さですね。ここに立っているだけで私は怖いです」
 危なっかしそうに下を覗く静音を沙也加は微笑ましそうに見守る。
「それにしても、こんな危ないコースをよく解放してますよね」
「してないわよ」
「えっ?」
「立入禁止の札を私が事前に取り除いたの。だから週末なのに私たち以外にハイキングする人がいないのよ」
(さすが沙也加さん、やることに卒がない……)
「ところで雨宮さん」
「はい?」
「久宝さんと連絡を取って夫の位置を確認してもらえるかしら?」
「はい、分かりました」
 静音は言われるままポケットからトランシーバーを取り呼びかける。
「もしもし? こちら雨宮です。聞こえますか?」
 少しの間をおいて、
「おお、聞こえてるぞ。どうした?」
 と、竜也の声が返ってくる。
「こっちは合流して現場に着きました。旦那さんは今どこですか?」
「今か? 今も順調に頂上を目指して歩いてるよ」
「分かりました。ありがとうございます。また連絡します」
 通信を切るとトランシーバーをポケットにしまう。
「大丈夫です。計画通り、旦那さんは頂上を目指してます」
「そう、良かったわ。それと、もう一つ聞いてもいいかしら?」
「はい、どうぞ」
「さっきのトランシーバーの電源は切ってる?」
「はい、切ってますけど、それが何か?」
「ううん、特に意味はないの。ありがとう。それじゃあ偽装工作を始めましょうか」
「了解です」
 元気よく返事をする静音を確認すると沙也加はリュックを下す。偽装工作とは言っても取り立てて難しいことはない。元々立入禁止になっていたハイキングコースで一番被害の大きいAコースならば、事故に遭ってもなんら不思議ではない。
 後は実際に崖から滑り落ちたかのような痕跡を残し、そのときに破れたかのように衣類の切れ端も尖った岩肌や木の根に引っ掛ける。勿論そこには本人の血痕も少量必要になってくる。
「このバンダナを折れた枝に引っ掛けておけばかなり印象は強くなる。なんせ私の血液が大量に付着しているもの」
「そうですね、やっぱり本人の血があると証拠になりますもんね。でも、素朴な疑問なんですけど、正直ここまでする必要ってあるんですか?」
「あるわよ。ねえ雨宮さん、保険調査員の調査能力を甘く見てはいけないわ。職業柄保険には詳しいけど、彼らの調査は探偵や刑事なみだと思っていい。DNA鑑定や盗聴から盗撮、プライベートな領域までしっかり調査して保険金詐欺を暴こうとするの。今回私が仕掛ける詐欺も億を超える額。必ず公私共にチェックが入る。万全の体制で臨まないと足元すくわれかねないのよ」
 真剣な顔で保険調査のことを語られ、静音は息を呑む。
「こ、怖い世界なんですね。探偵もダークな部分多いんですけど、保険の世界も似てますね」
「大金が絡む分、かなりシビアな世界と言えるわ。だから、この偽装工作も一切の手抜きはダメよ?」
「心得ました。後は何をすればいいんですか?」
「そうね、後は、私のリュックを崖に捨てることと、この辺りにたくさんある私と雨宮さんの足跡を消す作業くらいかしらね」
「分かりました。取り掛かります」
 そう言うと、小ぶりのシャベルをリュックから取り出し現場から後退しつつ足跡を消す工作を始める。
(やっぱり沙也加さんは凄いや。久宝のオッサンよりずっと探偵に向いてると思うわ)
 せっせとシャベルを動かす静音を沙也加は意味深な目つきで見つめる。そして、音もなく背後から近付くと静音の肩に手を持っていった。


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