MAS-S~四角いソシオパス~
第二話 

 四カ月前、十二月十七日、日曜日。明はキッチンテーブルで新聞を開き目を通す。妻の沙也加(さやか)は朝食のおかずをテキパキとテーブル上のランチョンマットに並べていく。
 明と沙也加は結婚して二カ月目を迎える新婚ラブラブ夫婦であり、世間的にも祝福された二人だ。朝食の用意をしつつも、目が合う度に唇を重ね、その度に笑顔が溢れる。朝から幸せいっぱいの二人だったが、出会いはとても複雑なもので波乱に満ちた中で結ばれたカップルと言えた――――


――八カ月前、四月十日、春。今の時期はちょうど人事異動や新人の入社と、様々人間が緊張の面持ちで出勤をしている。
 明は現在安原生命で働いており、入社して三年目で仕事にもだいぶ慣れてきていた。主な業務内容はコンピュータによるデータ管理で、今の時期だけは新人社員の教育係も兼任させられている。
 コレと言った特技の明だったが、唯一パソコン関連の知識が他人よりちょっとあり、たまたま受けた安原生命の面接で親類がおり、とんとん拍子で入社が決まった。
 入社してからの一年はプログラミングの雑務を請け負い、次いでデータ管理へと移行している。単純作業の多い仕事だったが明の性分にはそれが合っていた。
 何より良かったのは、同期入社で同い年の鏡真里(かがみまり)の存在だった。真里もどちらかと言うと大人しいタイプの人間で、明はそんな真里に好感を抱いていた。
 入社二年目には社内に秘密にしての交際が始まり、毎日の出勤が楽しくなっていた。気の早い話だが、真里さえ良ければすぐにでも結婚したいくらいに思う。
 しかし、この春、明に試練が訪れる。その元凶は松本沙也加。後の明の妻となる人物だ。沙也加は真里と違い明るく活発で、はきはきした健康的な女性だった。明もその様子に惹かれ、一目見ただけで好印象を受けた。笑顔が可愛く、真里とは質の違った美しさを備えている。
 新人の教育係という業務上、真里よりも沙也加と過ごす時間が増える。勿論その間も真里との交際は順調に続いていたが、沙也加の存在も多少なりとも気になっていた。後の話になるが、この頃はまだ沙也加も明を優しい先輩程度にしか見ておらず、特に意識もしてなかった。何より、明と真里が付き合っていることを察していたのもある。
 しかし、突然事件は起こる。取締役や上司に取り囲まれ真里が会議室へと引っ張って行かれた時点で、ある程度は予測できていたが保険金詐欺の容疑で逮捕された。
 真里は保険者への請求を水増しし書類を改ざん、その差額分を着服していたのだ。その額は一億円にも及び、しかもその犯行はたった三カ月の間に行われていた。
 逮捕後の取調べに対して常に黙秘し続けていたが、彼女の口座履歴に記されていた一億円の文字が何よりの証拠となる。問題はこの横領された一億円の行方が不明というところにあった。
 黙秘を続けられていては検察も手が打てず、恋人である明に事情聴取することにする。勿論明は事情など証言のしようもなく、自身が一番驚いていると言った。


 夏、幾度となくされた事情聴取から解放された明は背伸びをする。真里が罪を認め、金は全て遊興費に充てたと自白したのがきっかけだ。
 聴取から解放されたのは嬉しいことだが、恋人が犯罪者となったことは複雑な思いを抱かせる。上司からは、しばらく休養を取るように言われ、その言葉に甘え二週間の夏休みを取った。
 長期の休暇を取ったものの、明は何もする気が湧かず家でひっそりする。真里が逮捕され一人バカンスという気分には到底なれない。
 しかし、事は明が思っている通りにはならない。予想もしてなかったことだが、明を心配した沙也加が手料理を持って自宅を訪れたのだ。
 仕事のある日は食材を持参し、明のキッチンを借りて調理をする。しかもそれが休みなく毎日続いていた。流石に明も気兼ねし理由を訊ねたことがあるが、上手くはぐらかすような回答しかされず気を揉むばかりだった。
 そんなある日のこと、いつものように夕食を済ませ、お茶を飲んでいるとテーブルの前にラッピングされた箱を差し出される。
「この箱は?」
「開けてみて」
 嬉しそうに促されると、明はラッピングの紐を解く。
「これは、腕時計。これを僕に?」
「うん。だって、今日は竜崎さんの誕生日だから」
 真里の事件もあって自分の誕生日すら忘れていた明にとって、このサプライズは心を震わすような物となる。献身的とも言える沙也加の行動に明の心は癒され惹かれて行き、当然の流れの如く二人は付き合うようになった――――


――再び十二月十七日、祭日の昼下がりをリビングでのんびり堪能していると、沙也加が話し掛けてくる。
「ねえ、明さん。突然でびっくりするかもしれないけど、来週の連休にハイキングに行かない?」
「本当に突然だね。いつもの予定なら家で映画を見るんじゃなかったっけ?」
「うん、そのつもりだったんだけど、ホラ、先週のテレビでやってたじゃない。緑荒山のハイキングコースの絶景って」
「ああ、あれね。つまりあの番組に感化された訳だ」
「そういうこと」
 嬉しそうに言う沙也加を見ると明は苦笑いする。
「何を言っても行きそうな目をしてるよ。分かった、来週行こう」
「やった!」
「やれやれ、この笑顔に弱いんだよな~」
 自分自身で甘いと分かりつつも、明はハイキングの為の準備に取り掛かっていた。


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