追憶
第三話

 翌朝、気分転換にと外出すると家の前に太一が立っている。
(太一さんだ。朝からなんだろ?)
 朝一から会えた嬉さを抑えながら芽衣子を太一に近づく。
「おはよう、姉さん」
「おはよう、太一さん」
「相変わらず記憶は戻ってないみたいだね」
「ええ、郁子にも協力してもらってるけどなかなか。このまま戻らなくていいような気もするけどね」
(草野さんのことを思い出したくないというのと、太一さんを弟と再認識するのが嫌っていうのもあるけど)
 黙っていると太一の方から切り出してくる。
「俺はちゃんと記憶を戻してほしいよ。過去の思い出とか全て無かったことになるとか寂しいからね」
「太一さんには私に思い出してほしい記憶があるの?」
「あるよ。俺や父さんや母さんのこと、掛け替えのない家族の思い出、その全てをね」
(そうか、太一さんと私は唯一の家族。私の記憶が無くってしまえば、その家族というカテゴリを無くしてしまうんだ)
 複雑な気持ちに駆られながらも芽衣子は覚悟を決める。
「分かった。太一さんのためにも私、記憶が戻るように頑張る」
「そうこなくっちゃ。実はその手伝いがしたくて待ってたんだ。今から昔住んでた実家に行こう。きっと何か思い出すよ」
 笑顔の太一を見ると芽衣子もやる気を出さずにはいられなくなり、同じように笑顔で頷く。一軒家の前に着くと太一は勝手口に隠されたいた鍵で玄関を開ける。大家に許可を取ってないということを聞き焦るが、長く住んでたからという変な理由で安心するようにも言われる。
 玄関に入る前から感じていたが、大学で感じた既視感を覚える。
(ここは絶対来たことがある。って言うか住んでたと思う。入ればきっと何か思い出すはずだ)
 期待と不安が入り混じる中、玄関に一歩踏み込んだ瞬間、脳内に過去の記憶が流れ込んでくる――――


――十五年前、忘れ物を取りに小学校から急いで引き返していた芽衣子は、息も絶え絶えで玄関に入る。
 四年生になったばかりの芽衣子は、春に入学したばかりの弟に対して、恥ずかしくないお姉さんになる努力をしていた。同じ校内で自分の評判が悪いと太一にまで影響が出てしまう。可愛い弟を守るためにも、芽衣子は忘れ物なぞしてはいけないのだ。
 急いで自室へと向かっていると、リビングの方から両親の声が聞こえてくる。
「私、もうこれ以上、耐えられない。なんで他人の子なんて育てないといけないの!?」
 ひと際大きな声をあげる母の声で芽衣子を耳をすます。
「仕方ないだろ。引き取り手がなかったんだ。お前だって承知で俺と結婚したんじゃないか」
「それはそうだけど、太一という実の子がいるのに全く血の繋がらない赤の他人を育てるのは嫌なのよ」
 自分のことを言われているのだと理解した瞬間、芽衣子は家を飛び出す。心が混乱しモヤモヤしながらも学校にはちゃんと向かう。ただその日は一日授業が身に入らず朝の言葉がずっと頭の中を支配していた。
 帰宅後、恐る恐るリビングに入ると、母親からはいつもの笑顔で迎えられる。しかし、仮面の下にある本心を知ってしまった芽衣子にとって、その笑顔は邪悪なものにしか見えなかった。

 母親の本心に気づいてからは芽衣子は距離を置くようになり、母親もそれを察知し無視するようになる。その一方、太一は溺愛しており、芽衣子も太一を大事にしている。
 贔屓され、憎い女の子供と考えたこともあったが、太一は純粋に芽衣子を慕っており、どうしても邪険にできない。
 その年の冬、風邪をひいて自室で寝込んでいる芽衣子を心配そうに太一は見つめる。いつも一緒に登校しており、一人で学校へ行くのが心細いというのもあるようだ。
「太一、学校行って。一緒に居たら風邪うつるから」
「うん」
 頼りなく返事をし言葉とは裏腹に、そこを一歩も動かない。その優しさに心が温かくなる。
(太一、ホントに可愛い。あの女の子供とは思えない)
 嬉しい気持ちに浸っていると、突然ドアが開き母親が入ってくる。
「太一ちゃん、そろそろ学校に行く時間よ。お姉ちゃんも元気になったら行くから、太一ちゃんは先に行きなさい」
 後で行くと聞いた太一はしぶしぶ立ち上がり部屋を出ていく。玄関の閉まる音と同時に母親は芽衣子の腹を布団の上から踏みつける。
「痛い!」
「早く学校行け。アンタは一秒たりとも長くこの家に居ちゃだめな存在なんだよ」
「熱があって行けない」
「じゃあ死ね、今すぐ死んでしまえ!」
 辛辣な言葉を投げつけながら布団越しに蹴られ、芽衣子は命の危険を感じる――――


――「うわあああ!」
 玄関で叫ぶ芽衣子に太一は驚き駆けつける。
「姉さん! 大丈夫!?」
「うううっ……、最悪だ。そうだ、私は、私は母親と……」
「思い出したんだね。母さんとのこと」
「うん」
「じゃあ、僕とのことも思い出した?」
「えっ? 弟だという事実?」
「いいや、僕と恋人同士だったってこと」


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