追憶
第五話
「おかしいわ、私の記憶だと太一のこと断ってる」
何も無い部屋に立ち尽くしたまま芽衣子は語る。
「恋人って、太一の願望じゃないの?」
記憶を取り戻し太一の呼び方や接し方がガラリと変わり、振り向くと太一はやれやれと言ったふうに手を挙げた。
「なかなか思い出してくれないんだね。その記憶だと僕が中学くらいかな。僕らの関係が進んだのはそれから二年後、僕の部屋で、だからね」
具体的な年と場所を聞いて芽衣子は焦る。
(この言いようだと到底嘘だとは思えない。太一のセリフと雰囲気にはそれくらいの信憑性がある。私が弟と恋人だったなんて……)
恋人という単語で草野のことを思い出す。
「あの、私と草野さんも恋人同士なんだよね?」
「それは知らないよ。病院でも言ったけど草野さんのことは初耳で初見だったからね」
「参考までに聞きたいんだけど、私とは現在進行形で付き合ってたの?」
「そうだよ」
(二股確定だよ。なにやってんだ私、しかも相手は弟……、ああ、なんか思い出してきた。草野さんって確か会社の取引先の人だ……)
「私、最低だな。草野さんと太一と二股。今のショックで草野さんのことちょっと思い出したけど、きっと隠して付き合ってたんだわ」
がっくり肩を落とす芽衣子を見て太一は噴き出す。
「ああ、さっきの嘘だから」
「はあ!?」
「昔、告白したのはホント。でも、それ以外は嘘。ショック療法ってやつだよ」
太一はニコニコしながら芽衣子を見ている。
(コイツ、記憶喪失の私を使って遊んでいるのではなかろうな……)
恨めしげな顔を見て太一は口を開く。
「まあそう怒らないでよ。全部姉さんのためなんだから。とにかく、草野さんのこと思い出したんだよね? どこのどんな人だった?」
「草野さんは会社の取引先の方よ。三井沢物産の営業だったはず」
「ナイスだね。これで草野さんの正体が暴けるかも」
「正体?」
「うん、草野さんって姉さんの恋人って名乗ってるけど、ホントかどうか怪しいと踏んでたんだ」
「どういうことか、ちゃんと説明してほしい。私の記憶だと草野さんは恋人だったわ」
「それ、本当の記憶? 具体的に一緒にどこか行った記憶はある?」
「それはまだないけど、さっき薄っすら一緒に歩く姿が浮かんだのよ」
「それじゃあ何とも言えないよ。歩くだけなら仕事の関係ってこともある。病室で見せた写真だって旅行じゃなく仕事かもしれない」
(確かにあの写真だけじゃ旅行だったのか仕事だったのかは判断できない)
考えていると険しい顔をして太一が窓の外に視線を送る。気になって同じ方向を向いてみるも何もない。
「太一?」
「いや、さっき誰かが見ていたような気がしたから。って言うか、姉さんを不安にさせたくなくて黙ってたけど、草野さん姉さんストーキングしてるみたいなんだよね。姉さんの居るとこ居るとこ草野さんが見張ってる気がしてさ」
(やっぱり! 郁子とトンネルに行ったときに見た人影もあの人だったんだ!)
「太一、草野さんのことを早く調べよう。あの人きっと何か隠してる!」
「そうだね、僕もそれに賛成だ」
意思を確認し合うと芽衣子は急いで部屋を出る。視線を感じた道路に飛び出るも人影はない。鍵を閉めて後からやってきた太一も雰囲気から事態を察する。
三井沢商事に目的地を決め、駅に向かっていると背後からきたロードスターが真横に止まる。ウィンドウが下がると予想通りの顔が現れて手を振った。
「やっほー、メイちゃん元気?」
「郁子? どうしたの?」
「いや、きっと実家に来てるだろうと思ってさ。なんか思い出した?」
「ちょっとだけね。今から草野さんの会社に行くところよ」
「おお、草野さんのこと思い出したか。いいね、一緒に行くよ。車乗って」
「あっ、でもロードスターは二人乗りだし……」
太一を見ると手の平を見せて制止する。
「俺は他に調べたいことあるから別行動するよ。姉さんは郁子さんと行って」
「ごめん、太一。草野さんのことは後で報告するから」
「うん、宜しく。じゃあまた後で」
太一を見送ると、事情を聞いた郁子の運転で三井沢商事の近くまで向かう。コインパーキングに駐車し徒歩で会社に向かっていると、タイミング良く途中の公園で草野を発見する。
二人で問い詰めるというのも憚られ、ここは一応恋人と認識されている芽衣子一人で向かう。ベンチに座ったままうな垂れる草野の前に来ると芽衣子は覚悟を決めて口を開いた。