secret justice
第11話
事務所の入り口のノブには『closed』と書かれた木の札が掛けられている。どうやらもう閉めて帰った後らしい。
「中に人がいるか見てくるわ」
天野はドアをすり抜けて事務所に入っていく。このときばかりは天野が幽霊であることの便利さを感じる。十秒もしないうちに天野は真の元へと帰ってくる。
「誰もいないわね。もちろん死体もないわ」
「急いで来たのに無駄足だったか。どうしようか?」
「今のうちに資料を貰いましょう。今がチャンスじゃない」
「あのね、天野さん。資料も大切だけど、久宝さんの身も危険なんだ。それを知らせなきゃ来た意味がないよ」
「それはそうだけど」
「そうだ。依頼を装って電話をしてみよう! 久宝さんの携帯番号は知ってる?」
天野は事務所のドアを指さす。そこには事務所の電話番号と緊急連絡先として携帯電話の番号も書かれてある。
「よし、じゃあ早速掛けてみよう」
「あっ! ちょっと待って真君! 後ろ見て!」
天野の声に反応して素早く振り返る。逆光で見えないが事務所の階段を上ってくる男がいる。
「天野さん、スプレーは右だよ」
真は小声でつぶやく。しかし、天野は沈黙を守っている。 階段を上りきって男が真の目の前に立つ。その男は背が真より頭一つ高く目は鋭く、眉毛が太く、頭は少しハゲているようだ。
「ん? お客さんかい?」
男は外見とは似合わず優しい口調で話しかけてくる。その容姿から考えるまでもなく例のバカ殿だと悟れる。
「この人が久宝さんよ」
(頭を見てすぐ分かったよ!)
真は心の中で天野に突っ込む。
「はい、ちょっと久宝さんに聞いてもらいたいことがありまして。時間外とは知っていましたが失礼を承知で伺いました」
脳内志村をかき消しながら真は頭を下げる。
「あぁあぁ、いいよいいよ、そんなにかしこまらなくて。俺も酒を買いに行ってただけだから。さ、入って入って」
久宝は明るく気さくに振る舞いながら真を事務所にいざなう。どうやら悪い人物ではなさそうだ。 事務所の中に入ると思ったより整理整頓されておりこざっぱりしている。
事務所の中は事務用デスクが三つに応接セットが一つ、トイレに給湯室と衣類用ロッカーと普通の備品が整然と並んでいる。壁に掛かったハト時計の針は、九時四十五分を少し回った位置を差していた。 一つ変わっているところがあるとしたら……
「久宝さん、松浦亜弥が好きなんですか?」
「おお、大好き大好き! アヤヤファンクラブの16号だからな!」
壁一面に貼られてある松浦亜弥のポスターの存在くらいだ。
「まぁまぁまぁまぁ、立ち話も何だから座れ座れ!」
久宝は終始笑顔のまま真を応接セットに通す。
「失礼します」
真は一礼して久宝の正面のソファに座る。天野も一緒に真の横に座る。黒のビニール製で安物だということは想像に難くない。
「で、高校生の兄ちゃんが俺に何の用かな? っと、その前に自己紹介しとかないとな。俺は久宝竜也(くほうたつや)君は?」
「僕は草加真といいます」
「うん、真君か。で、用件は?」
真は天野の方をチラっと見ると天野はうなずく。
「時間がないので単刀直入に言います。今現在、久宝さんは命の危険にさらされています」
「ほぅ、そりゃあヤバいな!」
竜也は信じているのかバカにしているのか分からないが素直に驚く。
「あのう、理由とか聞かないんですか?」
「理由? 聞かなくても今から真君が教えてくれると俺は考えてるけど、間違ってるかい?」
「ええ、その通りです。まず話さなければならないのは昨日起きた一家惨殺放火事件についてです」
一家惨殺事件という言葉を聞いて竜也の表情がこわばった。
「真君。ちょっと話を割って悪いが、身体検査をしていいか? この件はトップシークレットなんだ。それを口にした君をいきなり信じることはできない。構わないか?」
(ヤバいな。スプレー缶が裏目に出る)
そう思った瞬間、天野が立ち上がり応接セットの後ろから竜也に見えないようにうまくスプレーを抜き取る。
(さすが天野さん。助かった)
「大丈夫ですよ。僕が怪しい者でないことを確認して下さい」
真はソファから立ち上がり両手を広げる。竜也は手際よくポケットなどを叩き何もないことを確認する。
「財布の中も確認したいんだがいいかい?」
「ええ、特に変なモノも入ってないんでいいですよ」
竜也は財布の中にあるレンタルの会員証の名前を見たり盗聴機の類がないかを確認すると財布を真に手渡す。財布をポケットにしまうと同時に天野はさっき抜いたスプレーをポケットにタイミングよく戻す。
「うん、君の言うように何も無かったな。疑ってすまなかった。気分を悪くしたのなら謝る」
そう言うと竜也は素直にハゲた頭を下げる。
「いえ、僕が逆の立場でもそれくらいしましたよ。それより本題に入っていいですか?」
「もちろん。頼む」
「と、その前に。天野さんのロッカーはどれですか?」
「天野のロッカーだと? 何の用だ?」
「天野さんから調査資料が入っていると言われて取りに来たんです」
「ちょっと待て。その前にまた一つ。天野は無事なのか?」
竜也は前のめりになって真に近づく。
「天野さんは……、残念ですけど亡くなっています」
「じゃあ君が犯人か?」
「えっ? なんで僕が?」
「俺は別の依頼で県外に出かけてて今日事務所に帰ってきた。そして、事件のことを知った。今回の事件の報道では亡くなったのは身元不明の女性としか告げられていない。ゆえに更科氏宅へ向かったことを知っているのはこの世で俺だけだ。この状況で更科家で亡くなった女性を天野と断定し、資料を取りに来たという君を犯人と推理するのは普通だとは思わないか?」
(確かに)
「何か言い分はあるか?」
「はい。久宝さんにとってはとても信じられないと思われるかもしれませんが。僕は霊が見えるんです」
「おいおい、冗談は止めてくれよ。俺はその手の話はダメなんだ」
「本気です。事件の犯人と思われたくないのですべて正直に話します。僕は事件現場で天野さんの霊に偶然会って、今回の事件を知りました。更科さんから身元調査の依頼を受けたことや、それによって殺害されたことも」
竜也は静かに真の話を聞いている。
「天野さんによると、犯人は目出し帽を被った男性で顔は見てないそうです。そして、天野さんが更科さん宅に入ったときにはすでに家族全員が亡くなってたそうです。現段階では確実ではないにしろ、資料の人物が疑わしいし、犯人がもし天野さんの持参した資料からここをつきとめてたとしたら久宝さんが危ない。そういういきさつでここに来たんです」
「なるほど。しかし今の話を裏付ける根拠はないぞ。天野から依頼を受けたという証拠がない限り、君を犯人と考えるのが自然だ」
「ロッカーの暗証番号を知ってますが、それはどうですか?」
「天野を殺す前に拷問して聞き出したかもしれない。証拠にはならない」
「そうですね」
(どうしよう。志村けんと言われてて侮っていたが、全然しっかりしてるぞこの人……)
そこへタイミングよく天野が話しかけてくる。
「真君。私や久宝さんに対する質問をしてみて、と言って。事務所のことから久宝さんの趣味まで私が後ろから真君に答えを教えるから」
(分かった)
「じゃあ、天野さんや事務所のことを僕に質問して下さい。どんなことでも答えます。もちろん久宝さんのことでもOKです」
「ほぅ。どんなことでもときたか。天野からどこまで聞いているのか知らないが、答えられなかったら重要参考人として警察に引き渡すからな?」
「分かりました。そのかわり、答えられたら事件解決のために僕に協力して下さい」
「いいだろう。じゃあ、難しいところを聞いていくぞ。俺の好きなプリンの名前は何だ?」
「……『贅沢な焼きチーズプリン』です」
「うぉ! マジか? これは天野とコンビニの店員にしか分からない重要事項のはずなのに。じゃあ次だ! 天野の携帯の着メロは何だ?」
「……『マツケンサンバ』ですね」
「ぐはぁ! またしても正解。俺か天野のストーカーくらいしか知り得ないトップシークレットを」
「……天野さんにストーカーはいないんじゃないんですか?」
「ん、まぁそれは冗談だ……ってそれも正解。そんなことを知ってる君がストーカーじゃないかと思うぞ。じゃあ最後にこれを答えられるか? 先週の競馬のレースで俺はいくら負けたか!」
「……『10万円です。そして、それを聞いた天野さんからバナナを投げつけられた』」
「大正解だ。と、いうか真君。それはここに来る前にあらかじめ聞いてたのか?」
「いえ、驚かれるかもしれませんが、実は僕の背後にいる天野さんの霊が逐一教えてくれてるんです」
「…………」
「信じて頂けます?」
「ああ天野の霊は、ここここにここにいるのか?」
竜也は明らかに動揺している。
「その様子では明言は避けた方がいいみたいですね。とりあえず僕の言うことを信じて協力して下さい」
「う、うむ、分かった! ぜん全面的に協力するぞ! おお俺に全部任せろろ!」
(こんなにカチカチだと頼りにならないな)
「まず、例の人物のことが気になるので天野さんのロッカーから資料を取ってきますよ?」
「うむ! 任せろ!」
(任せた、の間違いだな)
真はカチカチの竜也をよそにさっさとロッカーに向かう。ロッカーの手元には押しボタン式の解除ボタンがあり、真は教えられた通りの番号を入力しキーを解除した。