メジャースプーンをあげよう

 上坂くんは私たちの前に立って、ポケットに手を突っ込んでいる。
 斜めがけのリュックを背負った上坂くんは大学からの帰りなのかもしれない。

「……色々本腰入れようと思ってさ。バイト、辞めようと思って」
「えっ?」
「今日はその報告しに行ったんだよねー。したら皆瀬さんがいつきちゃんはここにいるって」
「辞めるって…」

 どうしてと言いかけてやめる。
 もうすぐ上坂くんは大学3年生。選択としては間違っていない。

(でも、このタイミングって)
(私まだちゃんと話してないのに…)
(……なかったことにしていいってことなのかな)

「まーバイトっつってもわりと上の立場になっちゃって引継ぎもしなきゃだし、今すぐってわけじゃないんだけどね。GW前には辞められるかな」
「そう……なんだ」
「寂しい?」

 寂しくないといえば嘘になる。
 黙ってしまった私を少し困ったような顔でみた上坂くんは、睦月さんに視線を移した。

「やだなー。んな睨むなよ」
「……私は元々こういう顔です」
「いつきちゃん、ほんとにこいつでいいの?」
「えっ?」
「おれにしとけばいいのに」
「圭吾くん」
「だからあんたに名前で呼ばれる筋合いないっつの。いつきちゃんなら大歓迎だけどー」

(…?あれ、なんか)

 言い合うふたりを見ていて気付いた。上坂くんの、睦月さんに対する憎悪が消えている。
 あの歪んだ笑みを浮かべて値踏みする視線を向けていた上坂くんがいない。

「上坂くん」
「けーごくんって呼んでくれてもいいよ?」
「なんか…あった?」
「えっ?」
「睦月さんへの態度が違うから…」

 途端、上坂くんは少し気まずそうに睦月さんから目をそらした。


< 131 / 139 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop