メジャースプーンをあげよう

「もう終わったことですから、顔を上げてください」
「しかし」
「今日はプライベートで来させていただいたんです。あなたの美味しいイタリアンをいただくために」
「……そうでしたか。そういえば」

 今気づいたと言わんばかりにシェフは擬音がつきそうなほど強くこっちを見て、にっこりと笑った。
 目尻に皺が刻まれて、眉毛まで八の字に垂れている。
 年齢は50を過ぎたかどうかくらいかもしれないけど妙に若々しいと言うか何と言うか。

(あれ、誰かに似て)

「仕事でお世話になっている方です。お礼にとお連れしたのですが、こちらの素晴らしい店構えに驚かせてしまったようで」
「そうですかそうですか」
「いつきさん。こちら、シェフの上坂さん」
「はっ、はじめましていつきと申します」

(………え?)

 立ち上がって挨拶をした瞬間、重大なことに気付いて固まった。

(……上坂って、え、上坂?)

「上坂さん。いつきさんはフロア2のカフェで働いておいでです」
「ああ! では息子がお世話になっているんでしょうな」
「圭吾くんですね。一緒の時間に働いているようです」

 ギリギリと不自然な動きで頭をあげると、人の良さそうなシェフは満面の笑みで私を見ている。

「改めまして、圭吾の父でもあります。不肖の息子ですが仲良くしてやってください」

 そうして深くお辞儀をした上坂シェフは、かたまった私に気付かないまま奥へと引っ込んでしまった。
 残された私の頭の中はぐるぐる回って止まらない。

(……上坂くんが睦月さんを嫌ってる理由って、お父さんに関係するんじゃなかったの?)

 今目の前で見た上坂シェフはむしろ、睦月さんに感謝しているように見えたけど――――


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