メジャースプーンをあげよう
「驚かせてしまいましたか」
睦月さんはそう言って、いまだ立ったままの私に腰を下ろすよう促す。
あわてて体勢を戻しながら頭の中を整理し、店内に流れている音楽より小さな声で話しかけた。
「…上坂くんのお父様が上階のレストランにいる話は耳に挟んでたんですけど」
「具体的に聞いたことは」
「なかったです。……っていうかえーと」
「先日の今日で色々と困惑させてしまいましたよね。申し訳ない。さすがに上坂氏の勤務日まで把握していなかったので…その上わざわざご挨拶してくださるとは思わず……いや上坂氏の性格を考えたら予想は出来たことかも」
「いや待って待って」
「はい?」
顎に指を当てて考え込むように言葉を放出しだした睦月さんを一端止める。
私が言ってるのはそこじゃなくて。
「……上坂くん、何か誤解してるんじゃないですか?」
憎しみのこもった嘲笑を浮かべていた上坂くんを思い出す。
お父さんのところへ行ったと睦月さんが言った時、「どのツラさげて」とか何とか責めたのも覚えている。
さっきご挨拶してくれた上坂シェフの様子からして、睦月さんがひどい事をしたとはとても思えない。
睦月さんはちょっとだけ笑った。
困ったみたいな、複雑な顔。
「……前職の頃に、少しね」
(それは答えになってないですって言いたいけど)
(たぶん睦月さんもわかってて言ってるんだろうな)
「上坂くんに聞きました。……睦月さんが銀行員だったって」
「……………そうですか」
声を落とした睦月さんは、まぶたも伏せがちになる。
私より背が高いから見たことがなかった睫毛が、案外長かったことを知った。