メジャースプーンをあげよう
「笑ったりしてごめんなさい。気を使ってくれたんですよね、寒そうにしてたから」
「……それもありますが」
信号が赤になった。
立ち止まり、隣に立つ睦月さんを見上げる。
人通りはまちまちで、低い睦月さんの声はよく聞こえた。
室内で緑がかってみえた黒髪は夜の灯りでも綺麗に映えて、前髪の向こうにある目はどこか―――何かをそわそわさせる。
勘違いじゃないと思わせる何かがあった。
28歳にもなれば『そういう予感』くらいわかる。勘違いじゃなければ。勘違いじゃないはず。
「いつきさん、今日はありがとうございました。急なお誘いに」
「いいえ。とても美味しかったです。ご馳走にまでなってしまって」
「誘ったのは俺ですから、当然でしょう」
「次は私がご馳走しますね」
「……次、ですか」
「次です」
視線が交わった。
やっぱり頬が赤いままの睦月さんは、ふっと口元を緩める。
コートの裾あたりでうろうろしていた私の手にあったかい手が触れて、そのままコートのポケットへと誘われた。
指は絡めず子供同士みたいに触れ合ったまま狭いポケットのあたたかさに包まれる。
「……次はいつきさんの好きなお店に行きましょう」
「居酒屋とかになっちゃいますけど」
「いいですね。大好きですよ居酒屋」
「そしたらまたネクタイ外してきてくれますか?」
「ネクタイ?」
いつもの睦月さんと1か所だけ違うところ。
きちんと締められているネクタイが外されていたところ。
1番上までキッチリしていた首元が、ボタンをひとつ開けて少しカジュアルに見えた。今はコートで隠れちゃって見えないけど、隙っていうのかな。すごくドキドキした。