秘密の告白~おにいちゃん、あのね~
 今考えれば、本当にとんでもない場所だった。

かの一之瀬社長の邸宅でご令嬢に家庭教師をするだなんて、それこそ昨日の酔っ払い思考ではないけれど、まるでシンデレラ。

ただ、童話として語るには、僕の心にはヤマシイ気持ちがありすぎている。

 空っぽになったマグカップを流しに片づけ、母の顔を見ないように冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぐ。

「うーん、どうかな……?」

 遥姫を大切にしたい。
それは隣に僕がいなくとも、笑ってくれるならばそれでいい。

母の質問をはぐらかすように麦茶をぐっと喉に流し込んだときだった。

「あのね、実は……匠に大事な話があるんだ」

 そうして向き直った母は、すこし頬を赤らめて笑う。

僕はこういう表情をする女の子を知っていた。照れているけど嬉しくてたまらない、という表情。

 その瞬間、僕の脳内は一気に思考が駆け巡り、それはゆっくり予感から現実へと傾きだした。

 そもそも家庭教師の話は誰から始まった?
僕は、本当に不思議な縁という簡単な言葉で済ませていいのだろうか。
母さんは一体ドコからナニまで知っていて、どうするつもりだったのか。

母の口から出る言葉が、どうか嘘であってほしいと願った。
できることならば、僕の想像を裏切ってほしかった。

「お母さんね、プロポーズされたんだ」

 はにかむ母に、僕は一筋の祈りを込めて口を開く。

「……だれに?」

 一瞬驚いた後、ふうと深呼吸した母は優しそうに微笑む。

「義之さん」

 これは、僕が自分の気持ちにさえ目をそむけた罰だったのかもしれない。

遥姫の純粋な気持ちを踏みにじった報いなのかもしれない。

 けれども、今にも溢れそうな感情を必死に繋ぎとめた細い細い線が、プチンと小さく音を立てて切れた。


 僕には想いを貫く覚悟も、彼女のひたむきな想いを背負う覚悟も、何一つもてていなかったのだ。
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