彼女は心に愛を飼っているらしい
5.黒塗りの絵
密かに仕舞っていた絵の具のセットを机の上に出す瞬間はまるで、子どもが宝箱を開ける時のようにドキドキした。
懐かしい香りが鼻をかすめてゆっくりと身体に感覚が戻って来る。血が通わず、冷たくなってしまった手に血液が巡る、そんな不思議な感覚だった。
しかし、それはほんの一瞬で、玄関からガチャガチャと鍵を開ける音を聞くと、僕は慌ててそれを元の引き出しに押し込んだ。
なんでもないようなフリをしてペンを持って、なんでもないような顔で問題集を解くけれど、頭には全く入っていない。
それでもあたかも勉強してます、みたいな顔を作るのはスリリングで額から冷や汗が溢れた。
「はぐむ、今帰ったわよ」
「あ、うん。お帰り」
ノックの後に入って来た母さんは特に怪しむ事なく僕に用件を伝える。
「お父さんは今日夜勤だから帰って来ないって」
「そう」
問題無い、いつも通りの会話だ。
落ちつけと心の中で言い聞かせれば、母親は話すことを終えて、そのまま背中を向けた。
ほっ、としたその時。
母親は突然くるりと態勢をこっちに向けて言う。
「そういえば、今日のご飯のお釣りいつもより少なかったわね」