幾久しく、君を想って。
胸の奥では、さっきの彼とのキスが尾を引いていた。


カチャン…とドアノブを捻り、空いた隙間に彼の背中が消えていく。

その後ろを追いかけもせず、私はまるで魔法をかけられた様にその場に佇んで見送った。


タンタンタン…と軽快に足音を立てて降りて行く相手。

きっとその頭の中は、愛人との逢瀬で一杯になっていただろうと思う。



それを見て見ぬフリをした。

気付いていたけど、気づかない様に努めた。



私には彼しか居なかった。

他の誰かを好きになるなんてことは、絶対にあり得ないと思っていた。


だから、さっきのキスでも思い出したのは、あの最後にして貰ったキスの思い出だけじゃない。


あの時、彼のことを凄く好きだと思った。

私が愛していくのは、これからもずっとこの人だけだ…という気持ちを思い出した。


それを思い出したら自分がとても惨めになった。

彼への純な気持ちも、自分から進んで壊してしまった様な気がした。



あんなキスをしたのは間違いだった。

彼に別れた理由を話したのも失敗だった。


慰められてはいけなかった。

彼の温もりを知ってはいけなかった。


私は拓海の母親として、これからも一人で生きていくんだ…と決めて生きてきた。

なのに、自らがそれを覆していい訳はない。



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