刑事と画家とお祖母ちゃんの銀銃
人喰いチエちゃん

どんなに情熱的な恋も時が経つにつれて冷めてしまう。
互いの愛を確かめ合う為の濃厚な時間が、理想的だと思っていた相手の知りたくなかった一面さえも曝け出してしまうからだ。
では、完璧な恋愛関係とは何か?
それは最初から相手の全てを知っている状態のことだ。
西園寺千恵は一口一口丁寧に肉に噛み付き、口の中でその味をじっくりと堪能してから飲み込んだ。

「とても美味しいわ。武下紀夫さん」

 暗い路地裏で傍にいる男性にディナーの感想を伝え、返事も待たずに千恵はまた目の前の肉にかぶり付く。
味は上質なのだが、全体的に少し固い肉質なので咥えたまま首を左右に振って引きちぎり、返り血が辺りに飛び散る。
一口齧る度に千恵の着ていた白のワンピースは赤く染まり、地面に広がる血液の生暖かさを素足で感じることが出来た。
更に口内にどろりと広がる血液を飲み込むたび、千恵は紀夫の事を理解していく。
身長、体重、血液型、各指の長さ、ほくろの位置、子供時代の記憶に至るまでをものの十数分の間に把握した千恵は脳内にしっかりと得た情報を記憶した。

「ごちそうさま紀夫さん。とっても美味しかったわ……あなたの体」

 ぴくりとも動かなくなった紀夫の顔に手を当てて千恵が満足げに言った時、背後から女性の悲鳴が響いた。

「あ、あなた……そこで何してるの?」

 腰まで伸びた黒髪を翻しながら振り返るといかにも会社帰りのOLといった感じのスーツ姿の中年女性が体を震わせながらこちらを見ていた。
 特に動揺することもなく血だらけの口周りを手で擦り取ると千恵はワンピースのスカート部分をつまみ上げて丁寧にお辞儀する。

「初めまして。私は西園寺知恵。もちろん偽名だけど子供達の間では『人喰いチエちゃん』なんて呼ばれているわ」 

 うすら笑いを浮かべる知恵に反してOLの顔はどんどん引きつり青ざめていく。

「その男の人を殺したの……?」

 恐る恐るOLが尋ねた。

「あら、殺したなんて人聞きが悪いわ」

 下唇に凝固した血を艶かしく舌で舐め取る。

「私は紀夫さんを愛しただけ。おかげで私は彼自身よりも彼のことを完全に理解出来たのよ」
「イカれてるわあなた。け、警察……」
「なんだ、もう通報済みかと思ってたのにトロい女ね」

 呆れたように嘆息した知恵はアスファルトに転がる武下紀夫の遺体に顔を寄せて小声でこう囁く。

「さようなら紀夫さん……私はいつまでもあなたの一番の女よ。だって私はあなたの事を何でも知っているのだから」

 遺体に口付けを済ますと千恵は人間離れした脚力で路地裏に並び立つ建物の壁を駆け上がり、あっという間にOLの視界からその姿を消した。

「化け物……!」

 知恵が去った後には恐怖に体を震わせるOLと無残な姿に成り果てた武下紀夫の遺体だけが残った。

「キャハハハハハハッ!!」

 少女のように無邪気に笑いながら知恵は超人的な足を使って建物の屋上から別の建物へと飛び移り続けた。
愛する人を完全に理解し一体となった満足感。
自身の脳と腹に悦びを抱えながら知恵は街灯に照らされる夜の街を見下ろして次の標的を探す。
あいつは不細工。
あいつは太りすぎ。
あいつは細すぎ。
香水がきつそう。
街中を蟻のようにぞろぞろと練り歩く男性を一目見ながら次々と選別していく。
やがて一人の男性が目に留まり、知恵は飛び跳ね続けていた足を止めた。

「見つけたァ。私の次の運命の人ォ」

 ビルの屋上から目で捕らえたのは端正な顔立ちで背筋を真っ直ぐ伸ばして歩く中肉中背のスーツ姿の男性だった。

「いいわぁあの人。あの人の事もっと知りたい。しりたい知りたいシリタイぃいっ!!」

口の中で次々と溢れて来る涎を垂らしながら千恵は街中へと降りていく。次の愛する人と一緒になるために。
いつから自分がこんな化け物に変わってしまったのか、千恵はもう思い出せなくなっていた。
翌日、ここ時葉町に恐怖のニュースが流れる。
人気の無い商店街の裏路地で惨殺された男性の遺体が見つかったからだ。
事件の目撃者がマスコミのインタビューに答えてしまったことで時葉町の人食鬼、『人喰いチエちゃん』の噂は町中に広まった。
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