刑事と画家とお祖母ちゃんの銀銃
「本当か?」
「以前にお祖母ちゃん以外でその引き金を引けることの出来た人物が一人だけいる」
「それって君がさっき言ってた探偵のことか?」
翡翠は首を縦に振る。
「その銃を欲しがっていた他の霊能力者達は誰一人としてその引き金を引けなかった。銀銃に拒絶されたんだ」
「この銃に意志があるとでも言うのか?」
「俺も試してみたが駄目だった。色々やってみたがその銃を撃つための条件は全く解らなかった」
蔵島翠の血縁者である翡翠でさえもこのトリガーは引けなかったらしい。
そんな厄介そうな銃を神保は正直扱える気がしなかった。
「お前が撃てなきゃこの世界のどこかでまたメリーさんの被害に遭う奴がでるだけだ」
どこかプレッシャーをかけるように翡翠は神保の肩を叩く。
「僕がやらなきゃ……か」
未だに微動だにしないトリガーを握りながら、それでも神保の手には力が入っていた。「さて、渡すものも渡したしそろそろここから出よう」
そう言って翡翠は石階段の方へと歩き出す。神保も銀銃をホルスターに収納した後に地下蔵から出て行った。
「ぷはぁ~っ、空気が美味い!」
長い石階段を昇り終え、蔵島翠の部屋へと帰ってきた神保が登山家のような台詞を口に出す。
「何だらけてるんだ。勉強も終わったんだからさっさと準備して悪魔退治すんぞ」
地下蔵の引き戸を閉め、その上に外した畳を再び敷き詰めていく翡翠がだらける神保に言った。
「え、今からやるのか!?」
スマートフォンの液晶を見ると夜の十一時を過ぎていた。体力に自身のある神保も流石に悲鳴を上げる。
「時間が無いと言ったのはお前のほうだぞ」
「それはそうだが……。というか君は大丈夫なのか?」
普段引き篭もりがちで体力も常人以下の翡翠がどこか活き活きとしているのに違和感を感じながら尋ねる神保。
その問いに翡翠は腕を組んで大きく頷いた。
「確かに俺は体力に自信が無い。しかし俺は今片付けられる仕事は次の日に持ち越さない主義なんだよ」
「変なところで律儀というか……」
「さっさとお前から開放されたいだけだ。ここは少し狭いから居間へいこう」
「居間で何をするんだ?」
そう聞かれ、翡翠は邪悪な笑みを浮かべながらジャージズボンのポケットから10円玉を取り出す。
「決まってるだろう。俺とお前で今からメリーさんをやるんだよ」
「……え?」
予想外の返答に神保はしばらくその場を動けず、先に祖母の部屋から出て行く翡翠の背中を呆然と見つめた。
その後、翡翠の自室横にある広い居間に入った2人は部屋の明かりを点けてさっそくメリーさんの準備に取り掛かる。
「えーっと、確か現代版メリーさんを始めるにはまず紙に五十音順のひらがなと『はい』と『いいえ』の文字に神社の鳥居のマークも書くんだったな」
佳代子からあらかじめメリーさんのやり方を聞いていた神保はまず部屋の真ん中に置かれたテーブルに乗せるための白紙を探す。
「紙とペンならお前がこの部屋入る前に俺が自室から持ってきといたぞ」
振り向くと翡翠の手には青色の画用紙と黒のマジック、更に画用紙と同じ青色のボールペンが握られていた。
「準備しててくれたのか。明かりを付けるまで君が何か持っていることに気付かなかったよ」
神保は画用紙とペンを受け取ろうと両手を出したが翡翠は「いや、必要な文字は俺が書こう」と言って差し出された手をスルーして持っていた青い画用紙を机の上に置く。
「なぁ翡翠。本当にやるのか?」
手際よく黒のマジックで平仮名の『あ』から順に画用紙に書いていく翡翠の背中に神保が問いかける。
「何だよ、今更怖気づいたのか?」
目線は自分の手元に向けたまま翡翠が聞き返すと神保は首を横に振った。
「僕の事じゃない。ここには最初、メリーさんに関する知識だけを教えて貰おうと思って尋ねたんだ……」
「だから俺までメリーさんの占いをやって危険な目に遭わなくても良いんじゃないかって言いたいのか」
欠伸をしながら緊張感の欠片も無い翡翠とは対照的に神保は深刻な顔で頷く。
「ばーか。俺がお前の面倒事に巻き込まれるのなんていつもの事だろうが」
自分の天パ頭を右手で掻きながら、画用紙に達筆な字を並べていく翡翠が笑い飛ばす。
「それにこの件に関わる事は俺にもメリットがある。生で悪魔を見れる機会なんて滅多にないからな」
一度も振り向くことなく軽口を叩き続ける翡翠の背中が神保にはどこか照れ隠しをしているように見えた。
「安心しろよ神保。メリーさんは俺に手も足も出せねーから」
画用紙に平仮名と『はい』と『いいえ』の文字、更に神社の鳥居を書き終えて振り向いた翡翠が自信満々に言ったので神保も「わかった」とだけ返して翡翠の対面に座る。
「で、具体的にはどうするつもりなんだ? 君の祖母の本は確かに悪魔についての詳細が書かれてあったが僕にはいまいち理解出来ない箇所もあってだな」
「確かに今まで霊や妖怪の類を信じてこなかった奴がいきなり悪魔だの簡易召喚だの契約だのと書かれたお祖母ちゃんの本を読んでも混乱するだけだろうな」
10円玉を神社の鳥居を模したマークの上に置いた翡翠が今度は青いペンのキャップを取り外す。
「まだ何か書くのか。佳代子ちゃんに聞いたメリーさんのやり方ではこれ以上何かを付け加える必要はないはずだが」
す、な、ぬ、は、ほ、など書くときにペン先が一回転する文字に出来る極めて小さな円の中に翡翠は青いボールペンで何かを書いていく。
「その作業がメリーさんを倒す策なのか」
「今集中しているから静かにしてろ」
平仮名の『す』の中心部分の小さな円内でペンを走らせる翡翠の左手は一つの震えも起こしてはいないように見えたが、如何せん青い画用紙の上に青いボールペンを使っている為何を書いているのかまでは判別できなかった。
やがて全ての準備が整ったのか翡翠は青いボールペンをテーブルの上に置くと、立ち上がっての居間の豆電球以外の明かりを消す。
「さて、始めるぞ神保。覚悟は良いか?」
「ちょっと待ってくれ。何で部屋の明かりを消したんだ?」
豆電球特有のオレンジ色の淡い光に照らされた部屋に違和感を感じる神保。
「暗いほうが雰囲気出るだろうが」
翡翠は一言だけで返すと再びテーブル前に腰を落とし画用紙の上に置かれた10円玉に右手の人差し指を置いた。
「ほれ、お前もはやく指を置け」
声色から明らかにこの状況を楽しみ始めているのが見て取れたが、神保は何も言わずに翡翠の対面に座りなおし右手の人差し指を10円玉の上に置く。
その指は、僅かながらに震えていた。
「確か……悪魔にルールを破らせてその代償を払ってもらうんだよな?」
神保は緊張に呑まれまいとを始める前に地下蔵で見た書物の内容と佳代子から聞いたルールを冷静に思い出す。
占いを終えるまで10円玉から指を離してはいけない。
質問の内容はメリーさんが30秒以内に答えられるものではないといけない。
占いに使った紙は破いて燃やし、10円玉は3日以内に使いきらなくてはならない。
メリーさんを使った遊びは30分以内に終わらなければならない。
人間側がこの4つの内どれか一つでも破れば占いの参加者全員が呪われてしまうが、逆にメリーさんがルール違反をした場合は人間が悪魔を好きなように出来る。
「そうだ。俺達で悪魔を嵌めるんだよ」
口の端をつり上げて笑う翡翠の方が神保には悪魔に見えた。
「解った。じゃあ始めようか」
しかし相手は本物の悪魔なのだ。
甘い事は言っていられない。
翡翠同様に覚悟を決めた神保は翡翠とともにメリーさんを呼び出す口上を読み上げる。
「「メリーさん、メリーさん。いらっしゃいますか? いらっしゃいましたらどうか私達の質問にお答え下さい」」
唱えると同時にとてつもない気恥ずかしさが神保を襲った。
大の大人が2人揃って何をやっているのだろうと耳まで真っ赤にするが翡翠は至って真剣な顔だったので神保も折れかけそうになる自らの心に渇を入れる。
と、その時だった。
「なっ、何だ……?」
小さい悲鳴をあげた神保が空いた左手で自分の懐を弄る。
「どうした神保?」
「銀銃が……!」
スーツの上から手を当てると、先程地下蔵で翡翠から預かった銀銃がホルスターの中で激しく振動していた。
「翡翠、これは一体!?」
「恐らくは……おいでなすったのさ」
焦る神保をよそに2人の指で押さえているはずの10円玉は独りでに動きはじめ、鳥居のマークの左横に書いてある『はい』の上で静止する。
「なぁ君、今指に力を入れてたり」
「するわけないだろ。そしてお前も動かしていないならの正真正銘のメリーさんが来たってことだろ」
「どうして君はそんなに落ち着いているんだ!?」
今、まさに自分たちが超常現象に巻き込まれているというのに翡翠の態度は冷静そのものだった。逆に神保はどんどん落ち着きを失くしていく。
「本当に10円玉が勝手に動くなんて――」
「神保!」
見かねた翡翠が声をかける。
「落ち着け。俺に任せろ」
しかし神保はよほど自分が見ている光景が信じられなかったらしく翡翠の声は全く届いてはいなかった。
独りでに振動しだす銀銃に力を入れていないのに勝手に紙の上を滑る10円玉。今まで普通の人間社会で生活していた神保を動揺させるには十分すぎるほどの材料だ。
相方のみっともない様子に翡翠は大きなため息を漏らす。
「あ~、メリーさんメリーさん。時葉町の刑事である神保聡介には今お付き合いしている彼女はいますかぁ?」
「んなっ!?」
10円玉は『はい』の位置から真横に滑り『いいえ』の上で止まる。
「はははははっ!」
その結果に翡翠は大笑いする。
「酷いじゃないか! プライバシーの侵害だ!」
「まぁいいじゃねーか。せっかくなんだから少し遊んだってよ」
「それにしたって今の質問は――」
「ちったぁ落ち着いたかよ?」
その言葉に神保はようやく我に返り、翡翠に気を使わせてしまった自分を恥ずかしく思った。
「すまない」
「最初から悪魔と戦うって解ってたろうが。ちょっとやそっとの常識破りで驚いてたらキリがないぞ」
翡翠の言う通りだった。
左手で自分の頬を強く叩き、己に喝を入れる神保。
その様子を見た翡翠は無言で頷き、作戦を続行する。
「メリーさん、メリーさん」
ようやく落ち着きを取り戻せた神保だったが重要なのはここからだった。
メリーさんに如何にしてルールを破らせるのか。この問題を解決しなければならないが神保は翡翠がどのような手段を使うのかまだ知らない。
豆電球で薄暗く照らされた部屋の中、翡翠の次の行動に神保は集中する。
「俺の下の名前を教えて下さい」
「……はい?」
期待とは裏腹に翡翠はただ先程のようにメリーさんに占いを頼んだだけだった。それも自分の下の名前が知りたいなどというあまりに間抜けな質問だったので神保は思わず肩から崩れそうになった。
「一体何を素っ頓狂な事を言ってるんだ君は!?」
「いいから見てろ」
質問を受けた10円玉はすぐさま平仮名の『ひ』の位置まで2人の人差し指ごと自分を運び、今度は『す』の位置まで青い画用紙の上を滑って行く。