刑事と画家とお祖母ちゃんの銀銃
「それにしても幽霊が相手とは」
超常的な存在を信じると決めた神保にはすぐに次の問題が襲ってきた。
現実主義者として今まで生きてきた神保にはそれらに対抗するための知識がまったくと言っていいほど無かったのだ。
「仕方がない……」
スーツのポケットからスマートフォンを取り出し、アドレス帳からある人物を選んで電話をかける。
しばらくのコールの後、留守番電話サービスに繋がるが神保は動じない。今まで彼に電話をかけて本人が出たことは一度もないからだ。
「やぁ、久しぶりだね翡翠。実はちょっと相談があって今から君の家に行こうと思うんだ。急ですまないがよろしく頼むよ」
留守電に一方的な伝言を残し、神保はたまたま通りがかったタクシーを拾って乗り込んだ。
目的地は町外れにある大きな屋敷。
そこには神保の高校時代の級友で、現在は世界的な画家として活躍している蔵島翡翠が住んでいた。
10分ほどでタクシーは目的地の前まで着き、神保は運転手に帰りも乗る旨を伝えて一度下車する。
蔵島翡翠の住む屋敷は高い石階段を上って行かねばならず、神保はここに来る度にいつもため息をつく。
「エスカレーターとか付けてくれないかなぁ」
馬鹿なことを言いながら長い石階段を一歩一歩上っていく。
「この石階段、昔はよく上ってたなぁ。プリントとかを届けに」
一段上るたびに高校時代の翡翠との思い出が蘇る。
蔵島翡翠という男子はとにかく学校では無口で一人だった。
特に他人からのいじめや嫌がらせなどは無く、翡翠自身が集団行動を嫌って自分から孤立していた。
学業も体育も苦手だったが唯一美術のみずば抜けた好成績を残し、翡翠が授業で画いた絵はいつも何かしらの賞を取り、その才能を活かして現在は画家をやっているらしい。
階段を上りきり、目の前の大きな和風門を叩く。インターホンも取り付けられているのだが、それで翡翠が出た試しがないので神保はいつも門を何度も叩いて呼び出す手段をとっている。
「来たぞ翡翠! 開けてくれ親友。ひ~す~い~く~ん!」
門を叩きながら翡翠を呼び続けること2分。
「るっさいわボケナス! 居留守してんだからいい加減に諦めねぇか!」
怒声と共に内側から勢いよく門が開かれる。
怒りの形相で現れたのは目つきの悪い三白眼にボサボサ天然パーマの黒髪が特徴的な体の細い青年、蔵島翡翠だった。
「親友が久々に尋ねてきたというのに酷いな君は」
ジャージに便所スリッパというだらしのない身なりで怒り狂う翡翠に動じることなく笑顔で対応する神保。
「何の用だよ。急に押しかけやがって」
「急ではないだろう。ちゃんと留守電にメッセージを入れておいただろう?」
「アポなしで10分前に『今から行く』なんて言われるのが急じゃないと!? 大体俺が外出してたらどうするつもりだったんだ」
「君が画の出展以外で外出するなんてことはほぼ無いだろう」
失礼な事を断言する神保に翡翠は益々不機嫌になっていく。しかし事実なので何も言い返せなかった。
家に入る前に和風門の下で喧嘩をするのは2人が学生の頃からの一連の流れだ。引き篭もりがちな翡翠を神保が引っ張り出して短い口論が始まる。
学生時代の懐かしを感じた神保が思わず噴出し、そんな様子を見て翡翠も自分ばかり怒るのが馬鹿らしくなって大きなため息をついて気持ちを落ち着かせた。
「で、何しに来たんだよ?」
「ああ、すまない。その事なんだが少し話が長くなりそうなんで良かったら屋敷に上げてもらえないか」
笑顔のまま近づいてくる神保を翡翠は眉間に皺を寄せながら門の前で大の字になり通すまいとする。
「傷つくなぁ。そんなに嫌がらなくてもいいだろう?」
「お前が俺に『話がある』っていう時は一度の例外なく必ず厄介だったり面倒臭いことを頼みに来るときだ」
「誤解だよ翡翠。そんな事はないさ」
神保は極めて穏やかに振舞いながら両手を翡翠の肩に置く。
「そ、それにお前を屋敷に上げたが最後。俺が頼みを聞くまで絶対に帰らない」
「嫌だなぁ。人の事を駄々っ子みたいに言わないでくれよ」
「お、おい。やめろ押すなやめろ……!」
表情を固定したまま強引に中に入ろうとする神保を何とか押し戻そうとするが、圧倒的な体力と筋力の差に翡翠が太刀打ちできるわけも無く勝敗はすぐに決まった。
「さぁ、屋敷内で話そうじゃないか」
「ちっくしょう。ぜ、絶対話を聞くだけだからな! 絶対だからな!」
息を全く乱さずに門をくぐった神保とは対照的に肩で息をしながら翡翠が悔しそうに屋敷の玄関を開いた。
中に入った神保は広い廊下を歩き、翡翠の仕事場兼自室に通される。
10畳以上ある広い和室には畳まれた布団とイーゼルに立てられたキャンバス、そして先程まで使っていたのであろう絵の具などの画材だけが有った。
「君の部屋は相変わらずだな……」
殺風景な部屋の様子に呆れる神保には構わず、翡翠は自室の真ん中に腰を落とす。神保も翡翠の正面に正座した。
「相変わらず画いてるのか……君の〝怪画〟はいつ見ても背筋が寒くなるな」
部屋の隅に置かれた白いキャンバスには真っ黒な猫が描かれていた。それもただの猫でなく尻尾が2本あり、大きな口で人間を丸呑みしようとしている不気味な猫が。
こんな悪趣味な画を高額で買い取る者が多数いるというのだから神保には美術の世界が全く解らなかった。
「自信作さ。タイトルは〝猫又〟だ」
「猫又?」
「尾が2本ある猫の妖怪のことだ。主に生前酷い死に方をした猫が化けると言われているが〝化け猫〟と違うのは人の形を模倣せずにあくまで猫として人間を襲うところだ」
自分の絵のことになると途端に饒舌になる翡翠だったが、神保は妖怪についての説明を受けたところであまり理解できずに思わず苦笑いで誤魔化してしまう。
「さて、そろそろ本題を聞かせろよ」
「ああ。実は今回の相談なんだが、君の怪画にも少し関係があるかもしれないんだ」
「ほう?」
今まで無関心そうだった翡翠の目の色が少しだけ変わる。
「翡翠。君はメリーさんって占い遊びを覚えてるか?」
「メリーさん……主に女子の間で流行ったやつだな。実体が解らないから俺は絵にしたことは無いが」
学生の頃から翡翠はこの不気味な妖怪や幽霊、悪魔や化け物の絵を画き続けている。まるで何かに取り付かれたかのように暇さえあればノートやキャンバスに書き殴っていた。
そんな翡翠のことをクラスメイト達は不気味に思い、距離を取っていたが神保だけは積極的に交流を深めようとしていた。
映画、スポーツ、TV番組、漫画、少しHな話。
男子高校生が好みそうな話題を振っても翡翠には全く相手にされなかったが、唯一オカルト系の話だけは詳しかったのを神保は今でも覚えていた。
「それで、そのメリーさんがどうした?」
小学校の女子生徒が謎の昏睡状態になる事、その原因が占い遊びのこっくりさんにあるかも知れない事など神保は自分が持っている情報を全て出しながら翡翠への状況説明を終える。
「なるほどな。それでオカルトに強そうな俺の所に来たということか」
「そう言うことだ。メリーさんに関することなら何でも良いから情報をくれないか?」
こんな突拍子もない話を笑い飛ばされないだけでも神保は安堵していた。少なくとも翡翠以外の人物だったならとても信じてはもらえない内容なのは自覚していた。
「メリーさん……ねぇ」
腕を組んで考え込む翡翠の答えを神保はじっと待つ。
「神保。こういう霊的、超常的な事案には専門家に頼むのが一番だ」
「専門家ってインターネットとかで見かける怪しい霊媒師とかか?」
「中には本物もいる。まぁその人は霊媒師じゃなく探偵だが、こういった不思議な事件を専門的に扱っている」
「そんな知り合いがいるのか!?」
予想外の返答に期待が膨れ上がり思わず身を乗り出す神保。
「ちょ、ちょっと落ち着け」
顔を目一杯近づけて今すぐ紹介しろと言わんばかりの神保をうざったそうに手で払いながら翡翠は続ける。
「その人は今海外にいるんだよ。別の仕事でな」
「海外……そうか」
解決の力になってくれそうな人物が海外にいる事を知り、神保は肩を落とす。
「どれくらいで帰ってくるんだ?」
「多忙を極めているらしいが……ってそんな落ち込まなくても2ヶ月もすりゃ戻ってくるよ」
「2ヶ月か……」
探偵の海外滞在期間を聞いた神保が眉根を寄せた。
その様子を見た翡翠が首を傾げる。
「どうした? 2ヶ月なんて長くもないだろう」
「メリーさんの被害者はきっちり1週間周期で増えているんだよ。3人目の被害者木村絵里が意識を失ってからもう4日経っている」
「つまり、あと3日後には新しい被害者が出ているかもしれないと?」
あえて名前は出さなかったのだろうが、ここで言う被害者というのが佳代子の事を指していることは2人共承知していた。
「そいつには残念だが諦めるしかないな」
しばらくの沈黙を破って翡翠は冷酷な判断を下す。
「少ない数の犠牲が出るのはこの際仕方が無いだろう。そのかわり2ヶ月待てば強力な専門家が帰ってきてメリーさんを倒してくれるだろう」
「そんな馬鹿な! 佳代子ちゃんを見捨てろっていうのか!?」
神保は当然その意見に食い下がった。
「呪いの元であるメリーさんを倒せばこれ以上の被害はなくなる。ここは専門家に任せるのがベストだろう」
「だけど!」
神保の理想はメリーさんを倒し、佳代子とあわよくば意識を失っている3人の女子まで救うというものだった。
しかし、元々が現実主義者なだけに口では反論しつつも頭では翡翠が言っている事が正しいのだと理解している。
それでも神保は佳代子に守ると誓ったのだ。簡単には引き下がれなかった。
「俺達には超常的な存在に対する特殊な力が無い。ただの人間だからだ」
「君の知識がある!」
「残念だがメリーさんに関することは俺は何も知らないぞ。俺が詳しいのは自分が絵にしたいと思った怪異的なものだけだ」
ヒートアップしていく神保を諌めるように翡翠は続ける。
「そもそも超常的な存在に敵対するっていう事の危険性を解ってるのか? 下手を打てば佳代子だけじゃなくお前だって被害に遭うかもしれないんだぞ」
「僕はどうなってもいい!」
即答だった。しかし即答だっただけにその一言は翡翠を苛つかせた。
「命の危険だってあるんだぞ」
「警察に入った時からこの命は誰かのために使うと決めている!」
これ以上何を言っても神保は引き下がりそうに無かったので翡翠は大きなため息をついて説得を諦めた。
無言で立ち上がる翡翠を見て神保はこのまま見捨てられてしまうのではないかと不安に狩られる。
「お前も立て」
屋敷から出て行けと続けられる思われた次の台詞は意外なものだった。
「お前を諦めさせるより、メリーさんを倒すほうが楽な気がしてきたよ」
薄く笑いながら翡翠は右手を差し出す。
「翡翠……!」
翡翠の手を掴み、神保も立ち上がる。
「ありがとう親友!」
「誰が親友だ誰が」
「本当に……ありがとうな」
「……おう」
照れくさそうに頭を掻きながら部屋を出る翡翠。神保もそれに続いていく。
「それで、これからどうする? 翡翠もメリーさんの事は知らないんだろう」
廊下を歩きながら神保は尋ねる。
「ああ。俺はな」
どこか含みのある返答をされながら案内されたのは長い廊下の突き当たりにある小さな和室だった。