愛を込めて極北
 「え、そんなの聞いてないけど」


 さすがに楠木は驚いた。


 「申し訳ありません! ちょっと家庭の事情で……」


 架空の家庭の事情を理由に、すんなり辞めさせてもらおうと試みた。


 ここに来た頃からお世話になった響さんが結婚のために辞めたばかりなのに、立て続けに私まで辞めてしまうのは人員不足になるので気が引けていたのだけど。


 もうすぐ新たに大学生がお手伝いとして来るようになると聞いて、私は決断した。


 「本当に家庭の事情?」


 「はい……」


 嘘が見破られそうで、怖くてつい俯いてしまった。


 「まさか、あのことが原因では」


 「違います!」


 慌てて否定した。


 楠木に真相を勘付かれてしまうと、自分がひどく惨めになるような気がした。


 「やっぱりそうか。……本当にすまないことをした。だから考え直してもらえないか」


 楠木は椅子から立ち上がり、私のほうへと歩み寄ってきた。


 「い、いえ。本当に違うんです。だから謝らないでください」


 背を向けてこの部屋を立ち去ろうとした時、


 「そんな下手な嘘、つかなくてもいいから」


 楠木に背後から肩を掴まれた。
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