待ち人来たらずは恋のきざし
「なあ、けいってどんな字?」
「え?」
話、変えられた?
「漢字、けいってどう書くの?」
はぁ、こっちはそれどころじゃ無いって言うのに。
名前なんて、呼ぶ分には音として伝わればいいんだから。
漢字だってひらがなだって呼べば同じ事じゃない…。はぁ。
「…あー、…風景の景、だけじゃ無くて、おまけに、い、は、衣装の衣、衣(ころも)の衣が付いて、それで、景衣。
画数の為に、衣、は足したみたいだけど。
…小さい頃はまず、女のくせに、けいって、変だ、可笑しいって、からかわれた。
いつも…ずっとよ?
子供ってそんな事に拘わるじゃない…。
それから…、名前って、性別を書く訳じゃ無いから、顔を会わせた時に、女性なんだってよく言われたわ」
「けい、だから」
「そう、けいだから。
でも、小さい頃だって今だって、景衣って名前、嫌だって思った事は一度も無かった。
私は私の名前が好きだから」
話ついでにちょっと語ってしまった…。今まで自分の内面の話なんて、誰にも言った事ないのに。
名前の話を振られたら、当たり前のように、この男の名前の漢字も聞き返さないといけないものかしら…。
それが会話の自然の流れというものかな。
結局は悩むまでも無かった。
「手、貸して」
「え?」
ちょっと…。
何も言う暇も拒否する間も無かった。
もう左手を取っていた。
自分の身体の前に持って来た男は、ちゃんと広げてっと言って、掌に指で書き始めた。
漢字を書くつもりね、それは解った。
「まず、これ、…解る?」
…細かい、だけど、そう、だから。
「創?創作の創」
当たったでしょ?
「うん、当たり。じゃあ次、これは簡単、アホでも解る」
人差し指を横にスーッと引いた。
…くすぐったい。
「…一、一ね、数字の一」
「うん、最後は、…これだ」
名前は聞いている。予想はつき易い。
どっちか、よね。
「朗。朗らかの朗。
創…、一、朗…。で、そういちろう」
自然に男の手と取り替えて、ササッと書いて見せた。
「うん、創一朗、だ」
書かれた時…掌が凄くくすぐったかった。
少しゾクッともした。
感触だけじゃ無い。書かれた文字がその都度残像のように残った。
何創一朗なんだろう。
そんな事が漠然と過ぎった。…そういちろう、か。
ピー、…。
「おっと、止めなきゃな」
お風呂、お湯が溜まったみたいだ。
「ごめん」
手を握られ、膝の上に戻された。
男は浴室に向かった。
アルコールのせいか、手が温かかった。
注いでくれたお祝いのワイン。
飲めばどうなるんだろ…。
置きっぱなしで汗をかいたグラスを手に取り、気がつけば半分以上流し込んでいた。