待ち人来たらずは恋のきざし

「あ、いいんですよ、置いといて貰って」

「あー、うん、ご馳走様、美味かったよ。
このくらいは楽勝、出来るから」

「でも、それをされてはお礼にならなくなります」

殆ど終わっていた。

「景衣…」

「はい、あ、それ。
名前、呼び捨てです。ずっと呼び捨てにしてます」

「景衣は景衣だろ。それに、最初呼んだ時、嫌とか何も言わなかったし、あ、ん、た。
だから、景衣でいいんだろ?」

「それは…つい、言いそびれただけで…」

気にはなっていたのよ?

「じゃあ、景衣さん?景衣ちゃん?どうする?
なんか呼ばれてるニックネームでもある?」

さんは何だかだし、だからって、…ちゃんは有り得ないし…。
景衣って名前は短すぎて、それ自体がニックネームのようで、つけられた事も無い。

…とどのつまりだ。

「はぁ…いいです、景衣でいいです…」

けい、って、アルファベットみたいで呼び捨てにされ易いし。
思えば昔からそうだったのよね…。

「フ、無駄な抵抗してみたい年頃?
何かにつけ、人の言う事に、即、従いたく無いんだ。
気、強いね〜」

景衣って、何気に呼びたい名前、呼び捨てにしたい名前だよな。…景衣。

「貴方が…」

年下だからでしょ?…多分…かなり。
それなのに、当たり前みたいに強めに話したりするからでしょ…。

「あ、じゃあ、俺もそれ。言わせて貰う。
俺、旦那じゃ無いし、あなた、なんて呼ばれても。
名前言ったでしょ」

確かにね…、知ってるけど。
…こっちこそ名前呼びなんて、…呼び辛いのよ。

「俺は呼び捨てで構わないけど?」

嫌よ。それは嫌、無理というもの。
そんな関係性じゃない。
そんな関係性でも呼び捨てはしない。
…はぁ。

「呼ぶとしたら…創一朗…さん、で、いいですか?」

なるべく呼ばない。いや、ほぼ呼べはしないだろう。

「創一朗さんね…まあいいけど」

もう…何の話をしてたんだっけ。
あー、後片付けしたらお礼にならないって言ってたんだ。

さて、と、珈琲でも飲んで貰ってようかな。
私もご飯食べたいし。

「あの、そ、創一朗さん?珈琲、入れますね。
ソファーに座っててください。
洗い物、有難うございました」

「うん、有難う」


珈琲を入れてソファーの前のテーブルに持って行った。

買い物には行かないと言い切ったから、もうそれは言って来ないと思う。
だったら、私が出勤するまで部屋に居るって事なのかな…。


「なあ、どんな仕事してる〜?」

「え?んー…、色々、事務処理して、電話で確認、みたいな仕事です。
ざっくり言えば、事務職です」

「あー、クレジット会社?電話で確認て、ショッピングクレジットとかの?」

「あ、はい、まあそんなところですかね」

あっさり解ってしまったか…。

「電話って大変だろ?変な客居ない?
居るだろ、訳も解らないような文句を言う人。
一括りも良くないけど、俗に言うクレーマーか、そんな奴」

「…全く無い、とは、ね」

…仕事ですからね。何をしてても色々ありますよ。
そんな意味もあって、貰ってるお給料は割といいんだと思うようにしている。

「理不尽な奴、居るからな。
クレーマーって言っても、最近は、本来の“お客様”の意味を履き違えてるよな…」

…あ、何だかちょっと嬉しいかも…。
この仕事のちょっと辛い部分を解って貰える事は中々無いから…。

何でも無い電話で、文句を言う人は確かに居るから。

毎日、ただパソコンのキーボードを叩いて、電話して、涼しいところ、寒く無いところで仕事が出来て楽じゃんと言われてしまうと、ちょっと辛いかも…なんて思ってはいたから。

「景衣、一緒に行かないならそれでもいいよ。
何か欲しいモノ無いのか?」

「え?あ、それは、もう…いいって言いました」

「何かあるだろ?」

遠慮という事でもないが物欲は特に無い。
…こんな事、言っても仕様が無いんだけど。

「では、…待ち人、かな。
私の運命をいい方向に導いてくれる人、…人だけじゃ無い、出来事とかもそう、…運命の人…ずっと待ってるから」

…。

ほらね。長い沈黙。
言えばこうなると思ってはいたけど…。
欲しいモノはって聞いてくれたから、正直に言って見ただけよ。

また、いい年をした女が…現実味の無い事を言う、痛い女だと思ってるに違いない…。

「解った。
じゃあ、ぼちぼち帰るよ。
ご馳走様、…またな」

「あ、えっ?…え?」

飲み終えたカップをキッチンに持って行くと、あっという間だった。
玄関で靴を履き、出て行った。

は?…あっさり帰っちゃった。…解った、って…。
何なの…こっちがよく解らないわよ。
何が解ったの?何を解ってくれたの?

…解ったって、…。
待ち人、私にプレゼントしてくれるの?…。
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