待ち人来たらずは恋のきざし
当然だけど、私がお風呂から出た頃には、あいつはベッドの中に居た。
…はぁ。
また更に可笑しい事になってるじゃない。
もう、つき合い始めた事になった。
そんな話をして一緒に寝るって事よ…。どうなのよ。
砦も鎧も無くなってしまったようなモノだ。
頭の中でどんなに葛藤して見ても…何かあっても、それはもう許してるって事になるのよね。
「いつまで立って眺めてるつもりだ」
「え?」
背中を向けていたから寝ているものだと思っていた。
男は起きていた。
ムクッと上体を起こして座った。
「起きてたの?」
「起きてるに決まってる」
決まってるって…。
寝ていたってベッドの中に入って行き辛いのに。
こうはっきり起きて座られてしまうと…どうしたものか。
「寝るのか?寝ないのか?」
「…寝ます」
…。
「寝ないのか?」
「寝ます、寝るに決まってます。でも」
…何だかこの男の言い草に似てしまったじゃない。
「だったら来い」
「え」
不意に腕を引かれた。
ベッドが少し弾んだ。
そのまま横になってしまった。
「意識してるだろ…」
上から声がする。
「別に…そんな事ないです」
「そうか」
「…はい」
頭の下に腕を通された。…腕枕するの?
男も横になった。
その腕で少し肩を寄せられ自然に横向きになった。男の胸に手を置いた。
「歳は30だ」
「…え?」
「意味は無いと思っても、何となく聞きたい事も色々あるんだろ?
だからまず歳だ」
…30って…いきなり衝撃が走る事を。
こっちから聞いても無いのに教えないでよね。
「あとは何が知りたい?」
「…別に無い。浮かばないから今は無いです」
「…そうか。俺は知りたい。
景衣の全部が知りたい」
「え?…何をでしょうか。何から?やっぱりまず…年齢?」
別に今更言わなくても年上は年上だって自覚はあるだろうし。
バーのマスターに明確に聞いたかも知れないし。
…言えない訳じゃないけど。
「いや…、歳じゃない、景衣そのものをだ」
「え?」
「俺達は大人だよな?」
「まあ、…はい。充分大人の年齢ですから」
強調する訳では無いけど、年齢的にはね。
「ん。…だったらいいよな…」
「え?いいって…」
「こういう事…自己責任で」
え。あ。
男の右手が私の顎を掴んだ。唇が触れた。触れた唇は直ぐ唇を食んだ。
さっきのとはまた全然違う。
ゆっくり丹念に食む。
顔の角度を変え、男の身体が少し上になった。
頭の後ろに通されていた腕は、今は右手と共に私の顔を包んでいる。
食んでいた口づけは深いモノに変わった。
ドクン、ドクンと胸が急に煩い。
少し前に吸った煙草の香りとピリッとした味のようなモノを感じた。
味とは正反対。
時折洩れる吐息はお互いに甘い。
鼓動が速くて苦しくなった。
何とも言えない切なさのようなモノが後から後から波のように押し寄せて来て、身体の芯が異常を来たし始めていた。
…やだ、私、もっとって思ってる。男の背中に腕を回しかけた。
「…景衣」
抱きしめられてそのまま向き合うようにして横になった。
「このまま抱きしめて寝るのはいいんだろ?」
え…それは、知らなければ…仕方ないからいいって言ったはず。だけど…今は。
「…はい」
だけど…このままなんて…。
「このまま抱きしめていたら眠れない」
…言うんじゃないかと思った。と言う事は、私も待っていた言葉?
だって、さっき宣言してたでしょ?
「私も…もう眠れそうにないです」