待ち人来たらずは恋のきざし
「課長、昨日はお休みを貰ってすみません、有難うございました」
「おう。てんやわんやだったよ、浅黄。本当だ…。
簡単に休ませた事、後悔したよ。
で、もういいのか?」
「すみません…ほぼずる休みでしたから」
「ま、薄々は解ってはいたけどね。
俺もちょっとしたお礼だと思って承諾したんだ。
浅黄には俺の家庭の話を聞かせてしまった借りがあるからな。
ところで、ずる休みの原因は何だ?
気持ちのバランスでも取れなくなったか」
「…男の気の利いた言葉って、経験から出るモノですか?年齢ですか?」
「男関連で休んだのか?」
「…あ、いえ」
「まあそれは…どっちもだな。…合わせ技だと思うけどな。
若くて経験もない、では言えない。
若くても経験があれば言える。
歳をくっても何も経験して来なければただのオヤジだ。
気の利いた言葉っていうのは、受け売りでは言葉にしてもやっぱり浮いてしまうし、咄嗟に浮かばないもんだ…。
そういう言葉ほど、一にも二にも経験だと俺は思うけどな」
「では、優しい人は、沢山、辛い思いをしているって事になりますよね」
「そうだな…。人に優しくされて、同じように誰かに優しくしたいと思うのは、やっぱり辛い経験も影響するだろうし、同じような思いをした事があるのかも知れない。…本当の優しさって…そうだな、やっぱり辛い思いをしてると違う気がするな。
辛い経験そのモノだけなのか、その事で誰かに優しくされたのか、報われたお陰かも知れない。
だけど、対象者に優しくしてあげたいと思わなければ、優しくは出来ない事だ。
昨日は哲学でも勉強していたのか?」
「最初は何も考えない日にしようと思ったんです。
でも、結局、自分の屁理屈への向き合い方を考えていました」
「それで、素直になれたのか?」
「中々頑固です。まだ素直に成り切れません。
少しは頑張って素直な面も見せましたけど」
「…そうか、頑固の期間が長くなり過ぎたのかも知れないな。
一人で居るってそういう事でもあるからな。
…上手く、いきそうなのか?
今のはお試し相手の話だろ?」
「まあ、…はい。…解りませんね。
一人で頑張っても、淋しいと感じてしまったら限界がありますから」
「…そうだな。で、…お試し相手とは…その…、もう試したのか?」
「え…、あ。…はい。ここだけの秘密にしておいてください。
そんな男が居るんだって、職場では思われたく無いので。
……秘密にして貰う事が増えましたね」
「あぁ、誰にも言わないさ。
浅黄と、浅黄の秘密を共有か…。
どんな人間にも、知らないだけで、何かしら秘密はあるもんだ。
まあ、言えない愚痴くらいなら聞くぞ?」
「愚痴というか…相手に何でも話せるかって事が…、言うべきか、言わざるべきか、それが今の問題なんです」
「…素直に、楽にいけよ、楽に。
だから、…あんまり頭で考えるな?
好きとか嫌いとか、理屈で固めるもんじゃない、な?」
…。
課長、考える事を放棄したわね…。
「課長、珈琲奢ってください」
「ああ、いいぞ。今日は…高いな、いいのか?」
「これと私の話した秘密と、課長が話した家庭の話をチャラにしましょう。
それで貸し借り無しです」
「安いんだか、高いんだか…。
…ほら、熱いぞ。
……浅黄、今でも、背中、好きなのか?」
「有難うございます、頂きます。
…好きですよ?
あ、今の質問で、次の珈琲も奢りですからね」
「…安い打ち明け話だな。…そんなもんか…」
「はい。そんなものですよ…奏一郎さん」
誰も居なかったから、久方振りに課長をそう呼んだ。
私的には深い意味は無かった。
「…浅黄、お前…」