待ち人来たらずは恋のきざし
課長に誘われるがまま、仕事終わりにご飯に行った。
あの後、先にフロアに戻る課長は、私の腕を解いて、戻るのはゆっくりでいいからと言ってくれた。
高いぞって言って、珈琲を買って置いていってくれた。
「不思議なやつだなよな、浅黄は」
居酒屋に来ていた。
「昔から、変わった感覚の人間だとはよく言われます。
…はっきり変人とは言えないから、そういう風に言ってくれてるのだと思いますけど」
「…変人か。変態よりはマシか」
「え?…それは、変態の人に失礼です」
「フ、ハハ…やっぱり、変わった感覚って表現は合ってるのかもな。
中々そういう言葉は出て来ないもんだ」
「はい、私、変わってるんで。それは自覚しています」
「それで?言いたく無い事はなんだ。
何があったんだ?」
「仕事は…文句を言われただけです」
「理不尽な事か…」
「はい。契約とは直接関係無いような事…ストレスの発散をするような、訳の解らない事を言われました。
…色々…下品な男でした」
「はぁ…そうか、嫌な思いをしたな、そういった内容の電話にまだ慣れて無いのに辛かったよな。
悪かったな、席を外していて。すまなかった」
「え?課長は何も悪く無い…」
「いや。浅黄はまだそんな相手に慣れていない。受けた件数だってまだそう多く無いだろ?
居たら、電話、代わって俺が聞く事が出来たじゃないか。
そんな男はな、自分より弱い相手だと思って言いたい事を言うもんだ。…男に代わった途端、態度を変えるような奴だ。
最後まで我慢して浅黄が聞かなくて済んだんだ。
大丈夫か?…もう辞めたくなったんじゃないのか?」
首を振った。
「…仕事です」
仕方ないと思わなきゃ。
私じゃなくても誰かが相手になっていた事だし。
「うん、…仕事の内と言えば、これも含めてがこの仕事だな」
…早く慣れて、行き場の無い気持ちを逃がす事を覚えなきゃ。
「あとは?」
「え?」
「まだあるだろ?さっき…仕事は、って言った。
他にもまだあるんだろ?」
でなきゃ、職場で、上司の俺に抱き着く程、気持ちが追い込まれたりしないだろ。
「…あ。…それは…」
「プライベートな事だから言えない、か」
「…はい」
「振られたか」
…簡単に解ってしまうのは、女が落ち込むのって、男の事しかないって読みなのかな。
「はい」
「…そうか。…そんな男、こっちから願い下げだって、言ってやったか?」
「え?」
「どうせ、他に好きな女が出来たとか、言われたんだろ…」
…それに近い。言い方が違うだけで同じ事だ。
「そんな男はな、また同じ事をその女にも言うんだ。
その女とだって、ある程度経ったらまた理由をつけて別れる。
…そんな男だ。
もっと経ったら、やっぱり浅黄じゃなきゃ駄目だと言って来るだろう。
つき合っていた男を悪く言うつもりはないが、そういう男だって事だ。
別れて貰って良かったと思え。
弱った振りで何を言って来られても、二度とつき合うな。いいか。
そんな男に浅黄は勿体ない」
「課長…。有難うございます。
今だけ…もの凄くいい女のつもりで自惚れておきます。
…有難うございます」
「男を見る目を養えよ?
大して好きでもない男となんか、勘違いしてつき合うなよ。
心の無い、都合のいい女にもなるな。
後で虚しくなるだけだから」
「…はい」
「浅黄…俺の事、今、好きだろ」
お酒は飲んでいない。
並んで前を向いて話していた課長の顔がこちらに向いた。
「はい、そうですね」
…嘘ではない。そう思った。だからそう答えた。
「浅黄…」
頭の後ろを掴まれ引き寄せられた。
…顔が近くなった。
唇が、…触れた。
「…俺も好きだ」
居酒屋のカウンター。奥まった席で人知れず課長と短いキスをした。
何となく食べていたご飯は、いつ終わっても良かった。
手を引かれ店を出た。