待ち人来たらずは恋のきざし


カチャン。

玄関に入らされると、私の直ぐ後ろで男が後ろ手で鍵をする音がした。
…当たり前の行為だけど何だか…妙に響いた。

知らない人の、しかも男の部屋だ。今更だけど…ドキドキして来た。

「…あの、ですね」

入れ代わるようにして男が先に立つと、スリッパを出してくれた。

「上がって?」

どうもと言って上がり、足を入れた。
脱いだヒールを揃えて玄関の横に置いた。
上がってる場合じゃ無いのに。

「こっちだ」

「あ、はい」

言われるままに後ろをついて歩いた。

廊下を通り過ぎ、リビングに通された。

このままでは流れのままお泊りになって行く一方…。
早く話してしまわないと。

「あの…ですね…」

「あ、そこ、適当に座ってて」

「あ、…はい」

じゃない。もー、素直にはい、はい、返事ばかりしている場合じゃないでしょ?
長く居る程、面倒臭くなるんだから。
それに…アラフォーでも一応危ないじゃない…。
男が雑食かも知れないし。

あれ、どこかに行った?


「アルコール、弱いんだろ〜?頭、痛くなって無いか?大丈夫〜?」

違う部屋から声がする。

「もしくは眠くなって来てるとかも無い?」

あ、戻って来た。

「どれも無い…大丈夫です。…有難う」

「ん?はい。取り敢えず、適当に着替えだ。
使ってる部屋着だけど、洗濯はしてあるから」

手にしていたTシャツとスウェットのパーカー、上下を渡された。
柔軟剤だと思う。少し爽やかな香りがした。

取り敢えず、座っている横に置いておく事にした。

「後で、ゆっくり風呂、使うといいよ。
いつも何時くらいに寝てる?
大人だからまだ大丈夫だよな。

珈琲飲むけど、あんた、水と珈琲ならどっちがいい?」

「珈琲で…お願いします」

だから…珈琲でとか、そんな事じゃないのよぉ。

ま、入れてくれたら一旦落ち着くか…。
そしたら話せるよね。

着替えとかお風呂とか…。
…先に着替えるには、どこか違う部屋でないと…。

あ、違う違う。着替える必要なんか無いんだった。…もう。


「はい、どうぞ。
本当に頭、痛く無いか?」

珈琲でいいと言ったのに、水も持って来てくれていた。

「はい、有難うございます、大丈夫です。
あの、私お話が」

「あぁ、寝る場所心配してるんだろ?大丈夫だから。
心配するな。あんたはベッドを使ってくれ。
俺はここに居るから。
眠った頃に部屋に忍び込んだりもしないし、大丈夫だ」

…もう、また…、ちょいちょい、そんな、しそうな事みたいに言うのよね。

少し距離を空け、隣に腰掛けられた。

ふぅと息を吐いて、緩めていたネクタイを更に緩めている。
上着を脱いで背もたれに掛けた。

ぁ…何を動作に見惚れて…違う違う。
ベッドとか、ネクタイを緩めるとか、そんな事にも気を持って行かれてる場合ではない。

…久しぶりに近くで見る、…若い男性だからだろうか。…情けない。

「あの、ちゃんと話を聞いてくれますか?」

「な、に?」

ふぅと長く息を吹きかけてから、カップに口を付けていた。

…はぁ。

「何て言うかですね…、こんなになってから余計話し辛いんですけど、…私はこのマンションに住んでいません。
私が住んでいる部屋はここでは無く、少し手前にあったマンションなんです。
だからさっき見せた鍵は、間違いなく私の住んでいる部屋の鍵なんです。
だから部屋には入れるんです。
だから帰ります」

ふぅ、これで通じたはず。やっと帰れる。

…。

何?この沈黙。

「泊まって行けばいいって言ってるだろ?」

…えー、…どうしてまだそんな事を言うかな。

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