夜界の王
美しすぎる容姿のせいで、この男の人間味がさらに遠のいた。
「は、離し、て…」
アーシャは、やっと絞り出した声で言った。
「ど、どこに、連れてくつもり、なの?」
男は無感動な目でこちらを見下ろした。
「喋れたのか」
「し、質問に、答えて…っ」
「近くに俺の屋敷がある。そこへ行く」
「や、しき?」
屋敷になど連れて行って、何をしようというのか。
いや、全て信じられない。屋敷というのもきっと嘘だ。この男も自分を利用しようとしているのだ。
グレンダとデリックのことが脳裏をくすぶり、アーシャは相手が人というだけで嫌悪と猜疑心で頭がいっぱいになった。
「暴れるな。大人しくしろ」
「や、やめて…っ、嫌よ、いや…!」
足をバタつかせ身をよじっても、肩と膝裏をがっしり抱えられてしまっているせいで離れることもできない。
細身に見えるのに存外力がある。
男は相変わらず無表情だったが、ふとついたため息には多少の呆れを含んでいた。
「あのままあの場所にいたかったのか。じきにこの森は野獣どもの溜まり場になる。あの場にいたら確実にお前は死んでいたぞ」
「……っ!」
野獣の、溜まり場。
寝ている自分の元へ動物が群がって肉を貪る光景がまざまざと脳裏に浮かび、アーシャはさっと顔を青ざめた。
喚き散らしていた動作を止め、黙り込む。
男の歩く振動に揺られながら、アーシャは俯いて両手を握りしめる。
しばらく何も話せず、男も何か話しかけてくることもなく、ただ草を踏む足音が響くのみの沈黙が流れた。