夜界の王
「お前は…なぜ声もなく泣くのだ」
アーシャは顔を上げた。
見れば、モスグリーンの瞳が静かにこちらを見下ろしている。
いつのまにか彼は足を止め、ただじっとアーシャを見つめていた。
(綺麗な目…)
素直に、アーシャはそう思った。
吸い込まれそうなその瞳を見ていると、心の波が凪いでいく。
無機質なガラスのような瞳なのに。
「…だって、うるさいだけだもの」
声をあげて泣けるなら泣きたい。大声をあげる気力がないだけだ。
「なんだかもう疲れたの。それだけ…」
涙が頬を滑る。このやつれた頬に、一体何度涙はつたうのだろう。
暗闇の中、アーシャの白い頬に光って滑り落ちるそれは、はたから見れば流れ星のようだった。
男はアーシャを見つめる。
何かを導き出そうとするかのようにじっと逸らさず。
(……変わった人)
未だ恐ろしいことに変わりはないが、彼の口調にはこちらを威圧するような感じはしない。
目つきには険しさとともに、どこか無垢のような透明さもあり、不思議と惹きつけられる。
今の質問も馬鹿にする様子はなかった。単純に疑問に思ったから問いかけたような調子だった。
(この人は、何者なんだろう…)
男は再び歩き出した。
身体を支える強い腕。ゆっくりとした歩調のリズム。
今は成り行きに身を任せるしかない。どうせ逃げられないのだ。この先さらなる悲惨が起きようと、もうどうでもよかった。
お互い無言のまま、草むらに濃い青の影を落としながら、静かな森の中を進んでいった。