夜界の王




恥ずかしさのあまり顔を上げられず立ちっぱなしでいると、男がこちらへ歩み寄ってきた。

棒立ちのままのアーシャのローブを素早く整えてしまう。

彼のやり方を見ながら感心する。


「この髪はどうにもならんな」


男は呆れながら言い、バサバサのアーシャの髪を手で梳いた。


「ごめんなさい…。あんなに大きなお風呂初めてで混乱して…、ボトルのものも、どれがどれだかわからなくて」


なんでこんなことを謝っているのか自分でもわからなかったが、いたたまれなかった。

自分がなんだかとても無知で世間知らずな人間のように思え、アーシャは俯いて両手を握りしめる。


男はアーシャを見下ろしていたが、この有様についてそれ以上言及することもなく、アーシャを席へ導いた。


今は裸足に生地の軽い室内用の履物を履いているが、その底越しにも、カーペットのふかふかした感触が伝わってくる。

ほんの少しの距離を歩く間も、地面に足が付いてないように感じて歩き方がおかしくなった。

入り口から入って正面の壁はカーテンで覆われていたが、隙間から夜空の星が見えた。

そのカーテンのそばにあるテーブルに湯気のたった食事がずらりと並んでいた。


導かれるままに長椅子な腰を落とす。椅子もふかふかだ。

向かい側に男が座ったので、アーシャは緊張した。


「お飲み物はどうなさいますか」


老紳士がちらりとアーシャを見る。

アーシャの飲めるものを判断しかねているらしかった。


「茶がいいだろう。俺は葡萄酒で良い」

「かしこまりました」


執事は静かに準備を始める。

男はアーシャに向き直った。


「腹が減っているだろう」

「は、はい……少し」


アーシャは自分のお腹に手をあてて、曖昧に返事をした。


正直、混乱状態が続いて、お腹が空いているのかよくわからなかった。

しかし、目の前に並ぶ見たこともないご馳走の数々。食欲をくすぐる豊かな香りはかなりの誘惑だった。



< 41 / 64 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop