夜界の王
恥ずかしさのあまり顔を上げられず立ちっぱなしでいると、男がこちらへ歩み寄ってきた。
棒立ちのままのアーシャのローブを素早く整えてしまう。
彼のやり方を見ながら感心する。
「この髪はどうにもならんな」
男は呆れながら言い、バサバサのアーシャの髪を手で梳いた。
「ごめんなさい…。あんなに大きなお風呂初めてで混乱して…、ボトルのものも、どれがどれだかわからなくて」
なんでこんなことを謝っているのか自分でもわからなかったが、いたたまれなかった。
自分がなんだかとても無知で世間知らずな人間のように思え、アーシャは俯いて両手を握りしめる。
男はアーシャを見下ろしていたが、この有様についてそれ以上言及することもなく、アーシャを席へ導いた。
今は裸足に生地の軽い室内用の履物を履いているが、その底越しにも、カーペットのふかふかした感触が伝わってくる。
ほんの少しの距離を歩く間も、地面に足が付いてないように感じて歩き方がおかしくなった。
入り口から入って正面の壁はカーテンで覆われていたが、隙間から夜空の星が見えた。
そのカーテンのそばにあるテーブルに湯気のたった食事がずらりと並んでいた。
導かれるままに長椅子な腰を落とす。椅子もふかふかだ。
向かい側に男が座ったので、アーシャは緊張した。
「お飲み物はどうなさいますか」
老紳士がちらりとアーシャを見る。
アーシャの飲めるものを判断しかねているらしかった。
「茶がいいだろう。俺は葡萄酒で良い」
「かしこまりました」
執事は静かに準備を始める。
男はアーシャに向き直った。
「腹が減っているだろう」
「は、はい……少し」
アーシャは自分のお腹に手をあてて、曖昧に返事をした。
正直、混乱状態が続いて、お腹が空いているのかよくわからなかった。
しかし、目の前に並ぶ見たこともないご馳走の数々。食欲をくすぐる豊かな香りはかなりの誘惑だった。