夜界の王
「でも、森はとても広いのに…」
月が出ていたとはいえ、森の中の視界は暗い。
草むらの中に倒れていた自分を偶然に見つけられるものだろうか?
「………」
問いかけるアーシャの視線から目を逸らし、ダレンは葡萄酒を口に含む。
赤紫の液体が、彼の唇の中へ音もなく流れていく。
「人間は…すぐにわかるのだ。ここでは異質の存在だからな」
(人間が、異質? どういうこと…?)
この辺りでは人と遭遇することは珍しいという意味だろうか。
意味が理解できず、アーシャは話の続きを待つ。
ダレンは考えながら話しているようで、グラスを揺らしながらしばらく言葉をきった。
「俺が何者か知るには、まず“この場所”の説明からしてやらねばならん。何も知らない者に理解させるのはなかなか骨が折れることだ。お前がこちらを警戒するのも無理はないが、俺はお前に危害を加えるつもりはない。回復したら還してやると約束する。知らずとも良いことは知らぬままでいることが賢明だ」
ダレンは残りの酒を煽り、空になったグラスに再び酒を注いだ。
アーシャはその様子を眺めながら、彼の言葉を胸の内で繰り返す。
“知らずとも良いことは知らぬままでいる”。
彼のいうことは一理ある。
余計なことを知って無駄に混乱するのは無意味だろう。
彼の言葉が誠意なのか偽りなのか、まだわからない。
けれど彼の強制しない話し方は、混乱しきった今のアーシャにとってはありがたく、安心感を覚えた。
ひとまずは、この男の言葉を信用するしかない。
いま逃げ出そうと外へ出ても、屋敷の周りには獣が密集しているのだ。出ていけばすぐさま食い殺されてしまうだろう。
体力もろくに残っていないし、回復するまでここにいるしかないのだ。