夜界の王
大まかにとはいえ、混雑していた状況を整理できると途端に頭がぼうっとしてきた。
緊張の系が切れたように、肩の力が抜ける。
「どうした?」
俯いたアーシャに気づき、ダレンが肩を支え顔を覗き込む。
「…平気…です。急に気が抜けたら、なんだかぼうっとして…」
首元に冷たい手が触れる。
ぴくりと肩を揺らしてしまうが、手はすぐに離れた。
「熱があるな」
視界がぼんやりとし、ぐらりと身体が傾いた寸前、ダレンがアーシャを抱きとめた。
そのままそっと抱き上げ、ダレンは奥の部屋へ移動する。
揺り籠の中にゆられている心地になる。
眠りたくない。
なんとか目を覚ましていなければと心は警鐘を鳴らすが、意識に反して瞼は重い。
定まらない視界で視線をめぐらすと、ふと彼の耳に注意がひいた。
(この人の耳……)
今まで長い髪に隠されて気づかなかったが、彼の耳の形はどことなく異形に見えた。
耳輪の上の部分がやけに尖っているような…。
アーシャはゆっくり瞬きした。
移動した部屋は寝室になっていた。
アーシャたちが部屋に入ると、暗かった部屋の中央で明かりがともる。
シワひとつない真っ白なベッドの上に、ダレンはそっとアーシャをおろした。
長椅子と同じように、ベッドも身体が沈むほど柔らかかった。
「…ごめんなさい…」
「なぜ謝る」
ダレンはアーシャの首元まで布団を引っ張った。
アーシャは首だけを傾け、傍に立つダレンを見上げる。
「…もしかしたら…あなたはとても善良な人で…、悪意もなく親切で私を助けてくれたのだとしたら、私は迷惑ばかりかけてる……」
ぶ厚い毛布。
体の熱ですぐに中は温かくなる。
今まで薄い布一枚で冬を乗り越えていたアーシャには、この温かさが天の温もりに感じた。
誰かに布団をかけてもらったのは久しぶりだ。
眠るとき、誰かがそばにいることも。
「…俺は俺の役目を果たしているだけだ。お前が気に病むことはない」
そう言ってダレンはそっとアーシャの頭に手を伸ばす。
が、髪に触れる直前で動きを止め、触れることなく引いていった。
「必ず還してやる。安心しろ」
瞼が重くて、アーシャはダレンの姿もよく見えなかった。
「私…もう、ないわ…」
目尻から滑り落ちた透明な涙が、枕のシーツに染みを残した。
「帰る場所なんて…もう、ないの……」
遠のく意識の中で紡いだ声は、音になる前に掠れて、部屋の静寂に溶けていった。
残されたダレンは、眠りについた彼女の顔を見つめたまま、しばらくその場を動かなかった。