難あり編集者と極上に甘い結末
「……拓未」
振り向くと、やっぱりそこには拓未がいた。走って来たのか、整えるようにして大きく呼吸をしている彼に、私は胸が苦しくなる。
「……あのさ、杏子」
「私、今急いでるから」
もう一度180度回転し、その場を去ろうとした私の右腕を拓未が掴み止めた。
「やめて。今更、何なの」
彼は、一体どういうつもりでこんな事をしているのだろう。彼は、私ではない誰かと結婚して、私の目の前から消えたはずなのに。今更、どうしてこんな事をするのだろう。
そんな事を考えながら私の手を掴む彼の左手を見る。すると、彼の左手には結婚指輪は付いていないことに気がつく。
こういう時、小説家というものは、有る事無い事構わず想像してしまう。ひょっとして、彼は、私のことを迎えに来たのだろうか、なんて、そんな事を一瞬考えてしまった。
「今日、久しぶりに会えてよかった。杏子に会えるかもって期待して、ここまで来たんだ」
「……私は、会いたくなかった」
ぐらり、ぐらり、と揺さぶられる心臓。彼の一言一言は、ぐっと私の胸を締め付けてくる。まるで、凶器だ。
「ちゃんと、話がしたい。謝りたいことも、伝えたいことも沢山あるんだ。一度だけでいい。……俺に、チャンスをくれないか」
彼が、私の腕をそっと離した。それから、私に名刺を手渡す。
「話をしてもいいと思ったら、連絡して。ずっと待ってる。何年でも、待ってるから」
私に背を向けて、小さくなっていく後ろ姿。私は、懐かしさの込み上げるような、その後ろ姿を見つめながら、渡された名刺を握りしめていた。