世迷言の絶頂
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「もっと普通にできないのか?」と、何度言われたか覚えていない。あいつらは私を殺す気なのだ。

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 人が感情を大きく出す時が本音に近いと言うのなら、なんと窮屈な世界なのだ。

 しかしそれの殆どが、怒りでしか表せず、それに慣れた「我慢」できない大人は軽蔑しか出来ない。

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 簡単に不幸を自慢気に話す人間は、それに甘えている子供だ。同情して差し上げるのが、礼儀らしい。


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「ふつう」をそのパラメータの中で1番多い数を指すのなら、普通に分類される事がたまらなく苦痛に感じる。
「あなたは普通じゃないよね」と言ってくる人間には吐き気がする。

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 20歳を過ぎたら大人になるらしい、つまらない人ばかりで「大人」になりたくないと捻くれていたら、生きる事について居場所が無くなった。

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 正直者が馬鹿を見る。人生を以って証明しようとしたら、ただの馬鹿になっていた。馬鹿が言うんだから間違いない。

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 何故なんでもお金に換算するのだ、それに繋がる数字や何もかも。
 それが出来て、狡猾に生きる人間はいつも私に「半額」シールを貼って、価値を下げようとする。


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 あの人はまるで駄目だ。すぐ決めつける人間が多い。……私もそう。きっと同じ様に駄目な部類に選別されているのだろう、いつもいつも。

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 理性と本能があり、理性で動くのが人間だと昔先生に教わった。
 本能で動く事は間違っているのか? どころではない。本当に恐ろしいのは理性を優先させる事に疑問も持つ事自体が許されなくなっている事だ。

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 算数で林檎に例えて教えてくれていたのに、気づいたら林檎はどこにもない。
 先生、林檎は何処にいったの?

 今更聞ける訳でもない、愛情についても同じだ。
 一貫出来ないのなら、最初から無ければいい。
「今更」が多く、それを教えてくれる人間は限りなく少ない。

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「生きる事に必死」な人間は多く見る様になってきた。しかし「死なない事に必死」な人間は意外と知られない。
 彼らは簡単にそれを他人に見せようとしないからだ。

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 親が世界の全てだと思っていた、親の掟や思想が正しいと。
 ある日父親の背中が小さく見える。それが自立の一歩目だとするなら、同時に今までの常識全てが疑わしくなった。

 その日から私は、門限7時を守らなくなった。「当たり前の事をさぞ、大袈裟に」とよく笑われる。
 その友達はママのお小遣いで夜まで遊んでいた。大人になり親に借金を泣きつく事となんら変わらない。

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 感覚の中でねむりたい。

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 自分は特別だと主張する、賛同した人が賞賛をするやり取りを何度か見た。
 それが宗教の様で怖くてたまらなかった。
 小説を書き始める様になり、辞書で「盛者必衰」を調べた時に思わず笑いが出た。

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 自分に無い物を手に入れたいと思っても、中々手に入る事は無い。
 当たり前だ。「無い」んだから。

 必要なのは、固定概念を捨てる事だ。それが出来れば苦労はしない。その全てから逃げる人間は、「普通」に逃げ道を作る。

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 優しい事は「短所」になって来ている。暗黙の了解で。
 実に優しい人が泣きやすい世界。

 私が唯一覚えた事は、優しさを向ける所を間違えてはならないという事だけ。

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 見返りを求めない優しさには強い愛情を感じる。

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 いつの間にか、教科書などには「障害者」から「障がい者」になっていた。
 感動して「凄い! 良くできました!」と褒めてあげたい。

 軽蔑しているので、そんな褒め方しかできない……。世の中に。

 
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 色気が必要なのだ。圧倒的に。

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 知らないフリと言うのは実に便利だ。
 何が起きても知らないんだから。

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 保健室から見た青空が忘れられない。多分、生まれて初めて虚しさを覚えたからだろう。

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