指先で、恋を
第1話
自分の将来の夢に出会う瞬間て、突然来ることがあれば、気づいた時にはもうあったってこともある。
僕の場合は後者だ。
日を浴びて香り立つ、紙とインクの香りが昔から好きだった。
木でできた大きな本棚に囲まれた部屋に篭って過ごす、大好きなあの時間の香り。
ページをめくれば毎日いろいろな人と出会えて、その人達に導かれて一人の世界から簡単に抜け出すことが出来た。
僕が喋れなくても誰もそれを気にしないでくれる、僕個人には語りかけてこない友達。
普通は近所や学校の友達と居るほうが楽しいのかもしれないけど、僕にとってこれ程都合のいい友達はいなかった。
これが本を好きになった理由で、僕の夢との出会いのキッカケだった。
僕の夢は小説家。
本を読んでいくうちに、自分の世界もこうして作ったら面白いんじゃないかなと思って書き始めたのは中学生の頃だ。
大学2年になった今となっては、書いた本は短編も含めると20冊ちょっとある。
今は友情を描いた物語を書いてみているのだけど、これがなかなか難しくて面白い。
《これくらいにして、また考えてから訂正しよう。今日は教授と約束もあるし、相談にのってもらおう。》
パソコンにデータを保存して大きく伸びをする。
カーテンを開けると、ビルの間から朝日が見え始める瞬間をちょうど見ることができた。
集中力は人一倍あるらしく、今日のように気づいたら朝…なんてことはよくある。
元々睡眠時間は短くても平気な体だったから、そこはかなり物書きに向いていると思う。
別に全ての小説家がこうでなくてはいけない訳ではないし、文才があることがたぶん最重要なのだろうけど。
大きく欠伸をしながら着替えを済ませて、眼鏡を綺麗に拭いてから台所へ向かう。
作る朝食とお弁当は、毎朝3人と1匹分だ。
解凍しておいた鮭を焼き始めると、匂いにつられて同居人が足元にやってきた。
彼の名前はトラ吉。
上京してきて間もない頃、大学からの帰り道で雨の中震えてるところを見つけた。
親猫はいないようだったし、酷く弱っているのが放っておけなくて、少し不安もあったけど一緒に暮らすことにした。
今はすっかり元気になって、僕とは親友というより兄弟のような関係になっている。
足に擦り寄ってきたり、寝転がってお腹を見せたりしながら強請るような目でこちらを見つめてくる。
そんな彼を横目に一通り作り終わり、朝の弱い残りの2人を起こすため外へ出た。
隣の部屋のドアの前に立ち、インターホンを押したり電話をかけたりすること10分。
『起きた〜。ありがとな。』
やっと繋がった電話から、寝起きの気だるげな声が聞こえてきた。
ここまでが僕の朝の仕事だ。
部屋に戻って沸かしておいたお茶をコップに注ぎ込む。
空腹に耐え切れなくなったのか、トラ吉が僕の椅子の上に座ってニャアと一声鳴いた。
僕の分のおかずを食べられないように彼を抱き上げて撫でていると、2人がようやく起きてきた。
「おはよ、結」
「んぁ〜…結ちゃ、ぉはよ…」
おはようと返事をする代わりに笑いかけて、2人が席に着くのを見届けてからトラ吉にも朝ご飯をあげた。
僕の向かい側に座っている2人は、右にいるのが電話にでた郁哉(ふみや)で、未だに寝ぼけているほうが咲人(さきと)。
2人とは小学生の頃からの幼なじみで、実家も今もお隣さんだ。
咲人には一人暮らしが向いていなかったらしく、半年もしないうちから郁哉や僕の家に入り浸るようになってしまったので、今は郁哉と同居中。
郁哉はすごくしっかりしていて面倒見も良いのだけど、料理だけはできない。
だから、咲人は掃除、郁哉は全体的な面倒見、僕が料理といった分担は自然と出来たのだ。
「咲人、着替え持ってきてやったから食い終わったら着替えろよ?髪も凄いことになってるし…」
「はぁぁ…結ちゃんの料理はいつ食べても美味しいなぁ。」
「聞けよ。」
僕が何気ない会話に混ざれなくなっても、2人だけは変わらずに接してくれた。
口先だけの人たちに囲まれていたら、今頃僕は腐りきっていて、夢に向き合う気力も追う気力も湧いては来なかっただろう。
2人は僕の相づち1つさえ見逃さないでいてくれる。
友達だけには恵まれていて、僕は本当に幸せ者だ。
満腹になって満足そうに寝転んで大欠伸をしているトラ吉に行ってきますと言って、昨日のテレビ番組の話をしながら大学へ向かう。
駅まで歩いて、電車で15分、また5分ほど歩くと大学に着く。
「じゃあ、また昼休みにねっ。」
「咲人、寝るんじゃねぇぞ。じゃあな。」