不思議な眼鏡くん

咲はカバンからイルカのついた合鍵を取り出した。手の上に乗せて、しばらく眺める。

何度も、自分は気が狂ってしまったんじゃないかと考えた。病院に行った方がいいんじゃないかとも。

咲の部屋にあった響の私物はすべて消えていた。手元に残るのは、このキーホルダーだけ。

このキーホルダーだけが、響に実像を持たせる。

あの人は確かにいたのだ。


『全部忘れて』
そう言ったのに、あの人はなぜわたしの記憶を消していかなかったんだろう。

答えの出ない問答を、もう死ぬほど繰り返している。

咲はため息をついてから、カバンに合鍵を戻した。パソコンの電源を切って、帰り支度を始める。

あの部屋で、待つ日もある。
硬いフローリングの上に座って、響が現れるそんな気配を探すのだ。

管理人に尋ねると、あの部屋は賃貸ではなく分譲されたものだった。咲は所有者をどうしても知りたかったが、それは個人情報のため教えられないと言われた。

誰も住まぬまま、空き家のまま。
ずっと、空っぽ。

「今日、行ってみようかな」
咲は呟いた。

記憶を消さぬまま『忘れて』と言ったのは、もう響の姿を追いかけるのをやめて、前に進んで欲しい、そういう意味なんだろうか。

「できるのかな、そんなこと」

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