不思議な眼鏡くん

咲は驚きで声が出ない。

響がここを手放した。

『前に進んで』
響がそう言ったような気がした。

『全部忘れて、前に進んで』

「いやよ!」
咲はとっさにそう叫んだ。

管理人はその声にビクッとしたが、少し毅然とした表情を見せる。

「困りますよ。返してもらわないと」
「でも」

咲は再び涙が出そうになった。

響との残りすくないつながりが、どんどん消えていく。

管理人が本当に困ったような顔をする。
「合鍵、返してください。マスターキーも、ついさっき返してもらいましたし」

涙を拭おうと上げた手が止まった。

「マスターキー?」
「そうですよ」

咲はごくんと息を飲み込んだ。

「誰がマスターキーを返しに来たんですか?」
「え?」

表情の変わった咲に驚いて、管理人の目が見開かれる。

「だから、誰がマスターキーを持ってきたんですか?」

管理人が咲の勢いに気圧されるように一歩下がる。
「所有者さんですよ。お若い、男性の方です」

咲は管理人の腕を掴んだ。

「いつきました?」
「へ?」
「その人、いつここに来たんですか?」
「……十分前ぐらいかな」

咲は弾けるように、外へ走り出た。
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