不思議な眼鏡くん
寒さにぶるっと震える。濡れた髪が冷えてきた。

「寒い?」
振り返ることなく、響が尋ねた。

「湯冷めかな」
響の背中に言う。

「あそこ、足湯」
響はそういうと、石段途中の脇にある足湯へと向かった。

そこそこ遅い時間にもかかわらず、足湯はカップルで賑わっていた。長方形の木の湯船に、独特の香りのお湯。屋根付きだった。

『入る?』とも尋ねずに、響はさっさと足を入れた。そして、少し乱暴に手を引っ張り、咲を横に座らせる。

ぬるいお湯。やわらかな感触。周りを見回すと、恋人たちが顔を寄せ合って笑いあっていた。

響は何も喋らない。

何か言った方がいいのだろうか。上司として、話題を振ったりしたほうが……。

「さっきはびっくりしたね」
咲は小声で話しかけた。

「おばけなのかしら」
咲は響の横顔を見る。長い前髪から、すっきりとした鼻筋が見えた。

「おばけ、か」
響がつぶやいた。

「でも、おばけに感謝しなくちゃ。助かったし」
咲は極力明るい声を出した。「坂上部長、普段はいい人なんだけど、酔うとちょっとね」

「芝塚課長に助けてもらいたかった?」
響が尋ねる。

「……別に、特には」
「あのとき、芝塚課長を見たから。一瞬、すごく困って、助けてほしいって顔で」
「そうだったっけ」

あのとき、どうだったかなんて、覚えてない。
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