不思議な眼鏡くん
だんだん寒さが和らいできた。うっすら汗もかくほど。

「いいところね、ここ。お昼も来た?」
「いや、別に」
「横山さんと、石段を散歩したって聞いたから」
「ここは通りがかっただけ」
「そう」

話が続かない。

咲は浴衣の袖をたくし上げ、お湯に右手を入れた。
「お湯の感じが、ホテルと違うのね」

優しくかき混ぜようとして、チクッと右腕に痛みが走る。
「いた」と反射的に声が出た。浴衣の袖の下だ。

お湯から手を出して、さらに袖をめくり上げると、肘下の内側にみるみる血がにじみだした。

「あれ」
咲が袖を調べてみると、ガラスの小さな破片だ。

「さっきのグラス」
響が言った。声が少しかすれている。

「浴衣についてたのかな」
咲はガラスを持っていたタオルに包んだ。

響が出血している咲の右腕に手を触れた。

ビクッと身体が動く。

「ごめん」
響の手が咲の腕を支える。傷をずっと見ているようだ。

大きな手。長い指。触れてる部分がジンジンする。

心拍が早くなってきた。胸がどうにかなりそうだ。

「なんで、謝るの? おかしいよ」
咲は笑ってごまかそうとした。

響が顔を上げて、咲の瞳を見つめた。

黒い瞳。
いともたやすく、咲の心を捕らえる。
前髪とメガネに隠されていたとしても。

「だ、大丈夫。すぐに治るから」
どもってしまう。声が必要以上に大きいことが、自分でもわかっている。

どうしよう。
胸が苦しくて。
身体が熱くて。

響が咲の腕をなぞって、先ほど湯に入れた手のひらを触る。その大きな手で包み込むように。

肌が触れている、この感じ。
濡れていて、なめらか。

何かが疼く。
自分の中心で。
何かが。
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