不思議な眼鏡くん
咲はおぼつかない足取りで席に戻る。樹の背中が見えた。自然と緊張する。

「今もどりました」
営業部に、外から響が帰ってきた。腕にジャケットをかけている。

「おつかれさま」
咲は椅子に座って、大きく息を一つはいた。

咲のこれまでの人生のなかで、一番のプレッシャーがかかっている気がする。緊張が半端ない。

響が席に座るのを見計らって、咲は「田中くんって、デザイン科卒業なんだよね」と尋ねた。

「そうですけど」
相変わらずの無愛想で答える。伊香保の時、キスされるかと思うほど顔が近づいたのに、今はそんなそぶりさえない。

「新ブランドの招待状なんだけど」
咲は響の方に椅子を向け、資料室から借りてきたファイルを見せた。

「見て、すごくおしゃれだよね。今回新しいブランドだし、今までのテンプレじゃなくてちょっと手を加えてもいいかな、と思うの。田中くん、力貸してくれない?」

響が、ファイルから招待状を一つ手に取る。それから裏表と見返して「デザイン会社に頼めばいいじゃないですか」と言った。

「外注ってなるとコストもかかるし、今あるテンプレにちょっと手を加える感じでいいかな、と」
「俺には無理です」

バシッと断られた。

「もう時間はないですし、俺、そういう才能ないんです」
「デザイン科でしょ?」
「だから、才能ないってわかったんですよ。あったら、こんなところいませんし」

言葉を選ばない、ストレートな表現。

「わかりました」
咲はパソコンの画面に向き合った。

やっぱり思いつきだけじゃダメなんだ。これは今後の課題にしよう。今回は文面だけ、できるだけ頑張ろ。

モニタ越しに樹と目が合う。

『ほら、言ったろ』
口だけで、そう言ってきた。

樹の態度は、さっきの今で、変わったりしてない。

咲は少しほっとした。
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